その頃の俺は、よく、一人で、ひなびた温泉場を尋ねて歩いたものだった。そんな俺の悪友の一人が、ある日、
「すごい穴場の温泉があるんだけど、行ってみないか。」
と俺の耳元でささやいた。俺は、きっと、とんでもなく人気がなくて、へたをすれば掘っ建て小屋しかないようなところなんだろう、と思ったが、その時の悪友の目が、好色に輝いていることまでは気がつかなかった。
「一度は行ってみる価値があるぜ。」
悪友がそう力説するので、俺は、すでにその気になっていた。彼の言うことだから、かなり怪しいには違いないが、温泉なら、露天で囲いさえないようなところでも別にかまわない、と俺は思ったのだ。
「いったいどこにあるんだ?」
俺が興味を示したことに気をよくして、悪友は、その温泉の場所を詳しく説明し始めた。
「ここまで行けば、宿の主人が船で迎えに来てくれるんだ。」
悪友は、地図を指さしながらそう言った。
「それにしても、船とは……。」
と俺が言うと、
「湖の対岸に宿があるんだ。」
悪友は訳知り顔で行った。それはなかなか風情があるなあ、と俺は、思いながらも、
「誰でも泊めてくれるわけじゃないんだぜ。そもそも女人禁制でさ、しかも、船に乗せる時に客を選ぶんだ、その主人が。」
という悪友の言葉にひっかかった。
「それはすごいな。」
すると、悪友は、また、好色な目つきで微笑ってから、
「……でも、おまえならだいじょうぶさ。」
そう言った。その言葉に、俺は首をひねったが、彼はそれ以上のことは教えてくれようとしなかった。
俺は、悪友に教えられたとおり、宿に予約の電話を入れ、宿の主人が迎えに来てくれる約束になっている船着き場まで行った。そこには、がっちりした体格の男が、作務衣に身を包んで、俺のことを待ってくれていた。
「あ、あの、今晩お世話になる……。」
俺の言葉をさえぎるように、
「ようこそ、お待ちしていました。」
主人は俺の荷物を持つと、先に立って船の方に歩き始めた。その、がっしりとした肩幅や、作務衣を着ていてさえ逞しさのわかる腰などが、きっと悪友の好色な目の輝きの理由なのだろうと俺は思ったが、その考えは浅はかに過ぎた。
「こちらでございます。」
静かな湖水の上をすべるように進んだ船は、程なくして宿の船着き場に到着し、俺は、そのまま宿の主人に部屋まで案内された。
「ようこそいらっしゃいました。」
俺が、部屋の座椅子にあぐらをかくと、部屋の入り口のところで両手をついて、改めて主人があいさつをした。
「こちらへは、どなたかのご紹介で……?」
俺が、素直に悪友の名前を出して、紹介してもらったと言うと、主人は、心なしか微笑ったように見えた。
「さようですか。では、きっと、おくつろぎいただけることと思います。」
主人の微笑が、何か淫らな影を含んでいるような気がして、俺は気になったが、
「こちらの温泉の効能については、何かお耳にされましたか?」
という主人の言葉に、
「いえ、特に何も。一度は行ってみる価値がある、とだけ。」
俺がそう答えると、主人は、今度ははっきり微笑って、
「どうか、ごゆっくりなさってください。」
と言うと、さっさと引き下がって行った。