ダブルベッド

日曜日, 11月 1, 1987

 僕がシャワーを浴びて、バスタオルにくるまって機嫌良くバスルームから出てきたのに気づいて、彼は、ロッキングチェアに腰をかけて本を読みながら、
「シードルを買ってきたぞ。」
と、素気ない声だけを僕に投げて寄こした。
「……?!」
彼の素気なさはいつものことだから、しっかり無視して冷蔵庫を開けると、ちょっと気に入っているその緑色のビンを取り出した。
「飲む……?」
一応、声だけかけて、返事がないのを確認してから、ビンの口から直接、発泡性の液体をのどに流し込んだ。
「ふうっ……。」
ビールほど苦くもないし、のどに残るほど甘くもないから、僕みたいなガキ向きの飲物なのかもしれないなあ、と、いつもの彼の言い方を思い出して苦笑してしまった。もちろん彼は、そんな僕に全く無関心の態で、SFだかなんだかのいかがわしい文庫本に読みふけっているけれども……。
 だいたいにおいて、彼は、ちょっと僕の動きについて、無関心すぎるところがある。仕事の関係で、普通は彼の帰ってくる時間のほうが遅くて、けなげな僕は、主婦よろしく、適当に冷蔵庫の中のものを誤魔化して晩飯をでっち上げて、
「おかえり……。」
ということになる。
「ただいま……。」
あんまり世間並みじゃない時間に帰ってきても、特に疲れたふうもなく、彼は、もそもそと僕の作った晩飯を喰うわけで、
「今日、電車の中で、かっこいい人を見つけたんだ……。」
なんていう僕の他愛ない一方的な会話には、無視するというわけでもなく、
「うん……?」
なんていうナマ返事ばっかりなのだ。まあ、そのあたりは、もう、あきらめちゃってる、というか、最初に出会ったときからそんなだから、
「そういうもんなのかなあ。」
なんて思っちゃってるけど、僕が言いたいのはそういうことじゃない。
 じゃあどういうことか、と言われても困ってしまうんだけど、例えば、僕にしたって、一応はサラリーマンしてるわけだから、おつき合い、とかそこそこにあるわけで、たまには彼よりも帰るのが遅くなってしまったりするようなこともあるのだ。これは、まあ、大きな声では言いにくいけれども、ちょっと後ろめたい原因で遅くなっちゃったようなときなんかでも、
「ただいま……。」
なんて僕がごそごそ帰ってくると、彼は例によって、ロッキングチェアに腰かけて、わけのわからない音楽を聞きながら、平然と本を読んでたりするのだ。
「おかえり……。先に飯を喰っちゃったからな。」
そして、本から目を上げずに、そういう言葉だけ投げて寄こしたりする。
「うん。」
意識的に僕がそういう方向へ話をもっていかない限り、彼は、遅くなった理由なんか尋ねないし、それどころか、
「遅かったね。」
なんていう類の言葉さえ気づかないのだ。
「いただきます。」
彼はちゃんと僕の分の晩飯も作っておいてくれるから、僕は、もそもそと、場合によっては後悔しながらそれを喰うことになる。それでくやしいのは、同じ冷蔵庫の中味からでっち上げるにもかかわらず、彼の作るもののほうが、少なくとも気がきいてる、ということなのだ。
 でも、考えてみれば、僕は出張かなんかでしばらく出かけてしまったって、彼は全然気にもならないふうで、ちゃんと自分で飯を作って、洗濯もして、忙しいサラリーマンのくせに部屋なんかも小ぎれいにかたづけてあるのだ。一人で暮らしていた期間が僕より長いせいもあるのかもしれないけど、食事の用意とか洗濯とか、ひょっとしたら、僕なんかよりよっぽど手際よくてきぱきやるんじゃないか、と密かに疑っているのだ。自分で言うのも何だけど、はっきり言って僕はてきぱきとは無縁だから、何をやっても、だいたいの場合は彼の冷笑をかってしまうような事態になってしまう。それなのに、彼は、僕がいる限りはそういう主婦業然、としたことには決して手を出そうとせず、知らん顔なのだ。そして、てきぱきできない僕が何かパニックになっても、ちら、と横目で見るだけで、小説か何かを読んで無関心を装ったままだったりする。それで、僕のパニックがどうしようもない限界に達すると、
「しょうがないなあ……。」
かなんか言いながら、じたばたしている僕には目もくれず、さっさとそのパニックをかたづけちゃうのだ。そして、平然と、
「終わったぞ。」
僕を振り返ってから、どさっ、とロッキングチェアにもどって、本の続きを読み始めるのだ。
 だから、これは僕の我ままかもしれないけど、……たぶん、我ままなんだろうけど、彼はもっと僕のことに関心を持ってくれてもいいと思うのだ。例えば、つきあい始めた頃は精神的にも肉体的にも密着した生活を送っていても、そのうち、相手のいることがあたりまえになっちゃって、空気みたいな感覚でいっしょに暮らしている友達が何組かいるけど、それはそれであたりまえ、というか、ある意味では望ましい状態なのかもしれないな、と思う。でも、僕と彼の場合は、そういう正しい手順を踏まずに、いきなり空気なのだ。それでも、また、ベッドの中では密着することがわりとあるから、救われているような気もする。まあ、密着なんて言っても、わりと淡白だから、ごくあっさりしてると思う。もっとも、純情であんまり経験のない僕には本当のところはどうなのかよくわからないけど……。