まだ快感の名残で、ぼー、となっている僕のあごを、僕のベッドに横になっている彼が、指先でくすぐるようにして遊んでいた。こんなふうに彼が僕の体に触っていてくれると、それだけでうれしくなってしまうんだから、いかに普段の彼が素気ないか、証明してるんじゃないかと思うんだけど、本当は、単に僕が甘ちゃんなだけなのかなあ。
「さっき寝顔をのぞき込んでいる時に……。」
彼は僕の寝顔をのぞき込んだだろうけど、ひょっとしたら僕は、彼の寝顔なんか見たことがないかもしれないなあ。
「眠ってる間にこのまま犯っちゃったら、目を覚まして、何て言うかなあ、なんて思ってたんだ。」
彼は、何気ないふうに、そんなことを、ぼそ、と言った。
「え?!」
「何かちょっとしたきっかけで、やたらわいせつだったりするんだよな。」
僕のこと?
「何を変なことを言ってるんだよ。」
いきなりそういうことを言って、純情な少年を混乱させないで欲しい。いったい、どういうつもりなんだろう……。
彼は、僕の肩に手を置きながら、ぐっと体を僕のほうに寄せると、
「好きだよ。」
僕を、ぎゅうっ、と抱き締めた。
「エプロンなんかしてるところを見ると、そのまま押し倒して、犯ってしまいたくなることもあるんだ。」
それは、愛情とかなんとかいう以前の問題として、変態だと思うんだけど……。
「いったい、どうしたんだよ……?」
彼が、ぎゅうっ、と抱いていてくれるのはうれしいけど、彼の台詞があんまり過激だから素直に喜べなかったりする。
「何か、あったんじゃないの……?」
僕があんまり冷静なものだから、彼は、ちょっとがっかりしたふうで、
「何にもないよ。」
僕からゆっくり体を離した。そして、僕の顔をのぞき込むようにすると、
「ただ、抱いてみたかっただけさ。」
いたずらっぽく、にや、と笑った。
掃除とか洗濯とか、料理とか、僕がやるとやたら無駄が多くて我ながら嫌になっちゃうんだけど、そういう主婦業の類が嫌いだ、っていうわけではない。もちろん、好きで仕方がない、なんていうこともないけど……。でも、エプロンなんかしてると、ひょっとしたら、エプロン姿が似合ってるかもしれないな、なんて自分で思うこともあるのだ。エプロンと言っても、フリルなんかのついている派手なやつじゃなくて、キャンバス地の首にひもを掛けて使うごついやつなんだ。そのかわりというのも何だけど、そのエプロンには、クマの顔だかがプリントしてあって、やたらかわいいもんだから、本当は、すごく気に入ってたりする。だから、一般的な意味では、押し倒したくなったりするようなエプロンでは決してないと思うけど、彼が僕のエプロン姿を見て『犯ってしまいたく』なるとしたら、彼もクマのプリントを気に入ってくれてるのかな、なんて、なんだかんだ言いながらも、うれしくなるようなことなのだ。うーん、これで結構、僕も変態だったりして……。
僕は素直じゃないから、うれしくなってしまうと、かえって、すねてしまったりするようなところがある。だから、
「エプロンしてて押し倒されたりしちゃ大変だから、たまには、主婦を変わってもらおうかなあ……。」
なんて、そういう気は全然ないのに、そんなことを言ってみたりするのだ。本音を言えば、もう一回彼に、『エプロン姿がかわいい』みたいなことを言ってもらいたかっただけだったりして、言ってしまってから、ちょっとわざとらし過ぎたかなあ、なんて反省していた。
「ダメ……!」
そうしたら、わりと強い調子で、彼が拒否の返事を寄こしたので、ちょっとびっくりしてしまった。
「たまには手伝ってくれたって……。」
そんなにきっぱり言われてしまうと、つい、むっとなってしまう。
僕がちょっとむくれていると、彼は僕の上に上半身をおおいかぶさってきて、
「本当に手伝って欲しいのか?」
鋭いところを突かれてしまった。カーテンの間からの淡い光の中で、真剣な表情の彼の目がやけに印象的で、
「ふん……。」
つい、彼から目をそらせてしまった。
「……。」
そうしたら、彼は僕の耳たぶに熱い息を吹き込んでから、ぺろ、と耳たぶをなめた。
「あっ……!」
予告なくそういうことをやられちゃ、体が反応してしまうので困ってしまう。
「どうせ、僕は主婦だから……。」
かわい気のないことを言ってみせながら、彼の首に抱きつくと、
「何をすねてるんだよ。」
彼は僕に優しくキスをしてくれた。
彼の腕の中に、ぎゅう、と抱き締めてもらって、いつもこんなふうに甘ちゃんにしてくれるといいんだけどなあ、なんて思いながら、
「だって、料理なんかヘタだし、後かたづけはグズだし……。」
と、少女マンガふうに、ぐちぐちとすねてみせた。まあ、そりゃ、慰めの言葉とかを全然期待していなかった、というわけじゃないけど、だからといって、
「確かに、主婦失格のところはあるなあ。」
くすくす笑ったりするのは、あんまりだと思う。
「あー、ひどいなあ。」
僕はすねたポーズをとろうとしたけれど、彼の腕の中にがっしりと抱き締められてしまっているので、口で抗議するのがせいいっぱいだった。
「だって、晩メシの後かたづけを放ったらかして、さっさと眠っちゃうだろ?」
それは、そういうつもりじゃなかったけど、たまたまそうなってしまっただけのことで、悪気があったんじゃないんだから……。
「ごめん……。」
言い訳すべきことはいろいろあるけど、とりあえずは、素直なふりをしてあやまってしまう作戦でいくことにする。
彼はちょっと微笑ってから、僕のベッドにひっくり返り、腕を伸ばして僕の耳をくすぐった。
「いっしょに暮らすようになって、一番うれしかったのは……。」
彼は、意味あり気にため息をつくと、
「自分のために、晩メシを作ってくれる、っていうことなんだ。」
独り言のように言った。
「ふうん……。」
僕のうさんくさそうな声に、彼はちょっと笑顔になって、
「もちろん、それだけじゃないよ。」
もう一回、僕の耳をくすぐった。
「他にもいろいろあるけど、でも、特に、自分のために、エプロンしてフライパンを持ってくれるんだなあ、なんて思うと、なんだか、後ろから抱き締めたくなったりすることもあるんだ。」
僕が炊事とかやってるときは、大人しく本を読んでるだけなのかと思ったらそんないかがわしいことを考えてたなんて、
「いつも真剣に本を読んでるのかと思ってたのに……。」
本当に、変態なんだから……。
「そんなことないさ、いつも、エプロンをした後ろ姿に見とれてるんだぞ。」
信じられないなあ。
「へえ……?」
どうも、実はからかわれているんじゃないかという気がする。
僕がやたら疑わしそうな目付きで見ているもんだから、彼は、面白がっちゃって、
「信じないのか?」
なんて、今度は僕のあごをくすぐってみせた。でも、いつもはてんで冷たいくせに『信じろ』というほうが無理なような気もするけど……。
「だって、今までそんなこと言わなかったし、そんなふりをしてみせたこともないくせに。」
これは、ずいぶんと昔の話になるけれども、以前つき合ってた男で、僕が料理を作ってると、必ずちょっかいを出してくるのがいた。邪魔で仕方なくて、なんとかしようとするんだけど、『君が嫌がると、余計、興奮するんだ』なんて、僕がフライパンを持っている間中、僕の体にいたずらするのだ。彼の話を聞いているうちに、ふとそんなことを思い出して、きっと僕は変態趣味の人に縁があるんだなあ、なんて、おかしくなってしまった。
「だって、フライパンなんか持ってるときに、後ろから抱き締めたりなんかしたら、危ないだろ?」
それはそうだけど、抱き締めてくれるんなら、火傷なんかしないようになんとかするから、別にそんなことまで気をつかってくれなくてもいいんだけどなあ。
僕がもうちょっと純情だった頃は、抱き締めていてくれることだけが愛情だ、みたいな感覚はあったけれど、いつのまにか、あきらめてしまった。
「ガスを切っちゃえば、全然、危なくなんかないよ。」
それでも、やっぱり、抱き締めていてくれるんなら、抱き締めていてもらうにこしたことはないと思う。
「馬鹿……!」
そうは思うけど、彼が口ではなんだかんだ言ったって、現実にはそんなことはやってくれないだろうし、僕だって、抱き締められても意外とあんまりうれしくなかったりするかもしれない。だから、
「抱き締める、っていう行為よりも、いつでも抱き締められる状態にあるっていうことのほうが大切なんだ。」
なんていう、彼の変態じみた言い訳も、なんとなく許してしまいたくなる。
「まあ、今日は、わりと甘ちゃんにしてくれたから、いいことにするよ。」
口の中でもごもご言ったから、彼は聞き取れなかったらしくて、
「え?!」
僕の方に耳を向けてきたので、さっきのお返しに、今度は僕が、彼の耳たぶを、ぺろ、となめてあげた。
ダブルベッド
日曜日, 11月 1, 1987