ルームメイト 3

水曜日, 10月 18, 1989

 ところが、そういう俺の予想に反して、結局のところ、奴が俺をめしに誘ったのは単なる気まぐれだったのらしい。てっきり飲み屋に行くんだと思って、青柳から出た後で、俺がそういう方向に歩き出そうとしたら、
「どこ行くんだよ。」
奴が変な顔をして俺の肩をひきとめた。
「どこって、飲みに行かないのか?」
どうせ、一人じゃつまらないから、俺をだしにして、かわいい子を引っかけに行こうという魂胆だとばかり思っていたら、
「俺はめしが食いたかっただけなんだ。」
どうも違うらしい。
「え?!だって……。」
いつもの奴らしくないが、俺をからかってるというふうでもない。
「俺は先に返るから、おまえは好きにしていいよ。」
好きにしろって言ったって……。だから、いつもとは逆に俺の方が奴を誘うことになってしまったりする。
「そんなこと言わずに、トリスタンにでも寄って行こうぜ。」
『トリスタンにでも』なんて言ったのがばれたら、あのマスターのことだから嫌味の一つも言ってみせるんだろうけど……。
「しょうがないな。つきあってやるか……。」
きのうあれだけ派手にやったから、とりあえず男には満足してるということなんだろうか。なんにしてもやっかいな奴だ。

 それでも、カウンターに落ち着いてみると、しぶっていた奴もバーボンのストレートなんぞという代物をちびちびなめ始めた。
「どこでひっかけたんだよ。」
バーボンの効果が現われ始めた頃を見計らって、俺は奴の脇腹をつついてみせた。
「え?!」
ポーカーフェイスで首をかしげていた奴は、
「きのうのかわいい子はどうしたの?」
なんて、しっかりマスターにチェックされてやがる。
「だ、誰のこと……?」
とぼけてみせる奴に、わかっていてマスターは追い打ちをかける。
「ほら、幸介ちゃんよ、うちから連れて返った……。」
ふうん、幸介って言うのか。
「ここによく来る?」
名前さえわかればこっちのものだから、俺は奴をそっちのけでマスターに話しかける。
「そうねえ、最近ときどき来てくれるわ。」
マスターもよろこんじゃって、ただ一人、奴だけが渋い顔でバーボンをなめていたりする。
「いいなあ、すぐ若い子とにゃんにゃんできて……。」
俺があんまりしつこいもんだから、奴はしっかりぶーたれちゃって、
「おまえだってひっかければいいだろ?」
いつになく、奴の口調がぶっきらぼうだったりする。
「俺はおまえみたく、簡単に引っかけられないもん。」
俺がそう言っても、奴は返事もよこさないで、バーボンをなめている。

 まあ、俺自身も奴のことをどうこう言えるほど品行方正じゃないんだけど、
「うらやましいなあ。」
奴が嫌がっているのがおもしろくて、ついついからかってしまう。
「じゃあ、俺は先に帰るからな。」
とうとう本当に奴は怒っちゃって、
「マスター、俺の分いくら?」
なんて、てんで冷たいんだから、俺は苦笑しながらバーボンの水割りをすすっていた。
「そんなに急いで帰ることないだろ?」
俺が言ってやってるのに、
「俺、眠いんだ。」
奴は全然取り合ってくれなくて、冷たくも俺を残したままトリスタンを出ていった。
「しょうがない奴だなあ。」
俺はため息をついてみせたりなんかしたけど、マスターときたら、
「あんまりいじめちゃかわいそうじゃない、あの子はデリケートなんだから……。」
なんて、自分だって結構面白がってたくせによく言うよ。

 結局俺は一人取り残されて、寂しい青年を演じることになったんだけど、それだったら俺はなんのために飲みに来たんだろう。
「うーん……。」
こういうことでマジに考え込んでしまうんだから、なんだかんだ言いながらも、俺ってかわいいよなあ。
「なに馬鹿やってるのよ。」
もちろんマスターはそんな俺につきあう気なんかさらさらなくて、自分のグラスにバーボンをどぼどぼ注ぎながら軽蔑の眼差しでもって俺をながめていた。
「なんか面白いことないかなあ。」
どうしてこの台詞にたどりついてしまうんだろう。
「さっさと男を作ればいいじゃない。」
マスターはこともなげに言う。
「そんなに簡単にできるんなら苦労しないよ。」
俺が、むっ、としてみせると、
「あら、そうかしら。」
奴がいなくなったもんだから、マスターの攻撃が俺の方に回ってきてしまった。
「よく、いつのまにか誰かといなくなっちゃうじゃない……。」
当然俺は聞こえないふりをしていたんだけど、そんなにほいほい『誰かといなくなる』なんてことはないと思うんだけどなあ。

 俺がなんとか言い訳しようと思っていると、入口のドアが開いて誰かが入ってきた。こういうことは、本当はすごく情けないことなんじゃないか、なんて思ってしまうけど、でも、やっぱりドアが開くと、ちら、とそっちの方を見てしまったりする。それでもって、なかなかかわいかったりすると、わざと知らんふりをしたりなんかして、俺って本当にガキなんだなあ。
「かわいいな。」
客観的に見てもかなりかわいい方だと思うんだけど、マスターはなんとなく複雑な表情で、
「ちょっと問題はあるけど、持って行っていいわよ。」
それでも結構なことを、さらっ、と言ってみせる。ひょっとしたら、マスターのお手付きなのかなあ、なんて、俺も結構なことを考えながらも、
「じゃあ、そうしよう。」
かなりの脳天気ぶりだ。