僕のテディ・ベア -E

木曜日, 10月 31, 1985

  でも、口が悪い割りには、マスターは、アフターサービスが良くて、朝食にトーストと牛乳なんかを与えてくれたりする。
「ほら、食うだろ?」
もっとも、僕は、ベーコンエッグだとか、ほうれん草のソテーだとかを作るためにこき使われちゃうのだけれど……。
「泊めてやってるんだから、文句を言わずにさっさとやれよな。」
はあい。
ちゃんとゆでたほうれん草が、冷凍庫の中にラップに包まれて積み重ねられてるところなんか、尊敬してしまう。僕なんか、ほうれん草みたいなもの買ってきても、使い残して、冷蔵庫の隅っこで腐らせちゃうぐらいがいいところなのに。
「さすがだね、マスター。」
意外とまめなところもあるんだ。
「これでパパにて料理をつくってあげるんだろう?」
やーい、ガラにもなく赤くなったりして、かわいいな。
  もっとも、時間からすれば、朝食というよりも、昼食なんだけど、あれだけ飲んだ翌日なら、このメニューでも、ひょっとしたら重すぎるかもしれない。
「「どうした?食わないのか?」
そういうことには関係なく、がつがつと朝食をむさぼれるマスターの胃袋が不思議で仕方がない。
「食わないんなら、俺が食っちゃうぞ。」
これに比べたら、僕なんか、本当に純情な処女みたいなものなのになあ。
「勝手なこといってないで、食えよ。……それとも、気分が悪いんなら、胃薬のほうがいいかもしれないな。」
自分で作っておきながら、自分じゃ食えないなんて、実に口惜しい。
「食うのはいいけど、もどしたって、俺は知らないぞ。」
結局、僕は、寂しく胃薬で朝食、なんていう事態になってしまったのだ。我ながら、本当に同情してしまう。
「飲み過ぎなんて、自業自得に決まってるだろう?」
なぐるぞ。
  というわけで、朝食を食って元気一杯なのと、みじめにも胃薬しかのどを通らなかったのとじゃ、やっぱり、かなりの落差があると思う。
「せめて、お茶でも飲もう……。」
かわいそうな僕に、追い討ちをかけるようにマスターは、
「結局のところ……。」
何?
「彼のことはあきらめちゃったのか?」
いきなりそんなことを言うか?まったく、血も涙もないんだから……。
「まあ、それが賢明かもしれないな。」
だって、あきらめるも何も、
「最初っから、そういう対象じゃないよ。」
彼は、そういう人と一緒に暮らす、って言ってるんだから、それで、めでたしめでたし、だろう?
「無理して。」
無理なんかしてないよ。そりゃ、少しぐらいは笑顔がひきつってるかもしれないけど、それくらい、仕方ないだろ。
  こういう場面じゃ、少なくとも表面的には、ものすごくあきらめがいいから、
「結局、彼とは、縁がなかった、っていうことなんだろ?」
けなげだよなあ。
「馬鹿、メロドラマと間違えてるんじゃないのか?」
ふん、どうせ、僕なんか、メロドラマのヒロインだよ。
「ヒロイン、っていうのは、かなり無理があるんじゃないか。」
そうかよ。じゃあ、いったい、僕は何なんだよ。
「そんなこと言ったって、要するにもう、どうしようもないじゃないか。」
めでたしめでたし、の彼と、二日酔いの僕に、どんな発展性のある物語を望めるのか、教えて欲しいもんだ。
「だから、そのうち、すぐ別れる、って言ってやってるだろう?」
おっそろしいの、すぐ別れる、だって。
「ゲイバーのマスターが、そういうこと言っていいわけ?」
別れることがわかってたって、僕には、そんな表情はできないよ。
「妥協でくっついてるんだから、別れない方が不思議だよ。同居なんかにこぎつけられるわけがないさ。」
ここまできっぱり言い切れば、立派だと思うよ、本当に。
  マスターと話してても、どこまで本気なのかわからないから、マスターの言葉を肯定していいのか否定していいのか、迷ってしまうことがある。
「他人のことを、どうこう言ったって、結局は推測だから、もうよそうよ。」
そして、体力的に不利な状態にある僕が、逃げてしまうのだ。
「それもそうだな。」
マスターが、あっさり口を噤んでしまう分だけ、僕は、欲求不満になってしまう。
「もっと、かわいい少年になりたかった。」
それで、ついつい本音が出てしまったりするのだ。
「熊のぬいぐるみか?」
僕が、テディ・ベアなんかを密かに欲しがってるのを知ってるもんだから、マスターは、こういう悪趣味な冷やかしを言う。
「だって、かわいいじゃないか。」
つい、むきになって言い返したりして、まだ僕も、テディ・ベアの域を脱し切れていないんだなあ。