僕のテディ・ベア -F

木曜日, 10月 31, 1985

  でも、マスターのアフターサービスも過剰品質のところがあるから、風呂上がりの電話に驚かされたりする。
「はい……?」
まったく、入浴と睡眠が唯一の楽しみ、なんていう僕の生活にも問題はあるんだろうけど、それにしても、
「もしもし……?」
マスターの声は、自分の部屋で聞くと、不思議な感じがする。
「マスター?」
本当の私生活に異質なものが割り込んで来たようで、マスターには悪いけど、受話器を持つ手が、つい、耳元から離れがちになってしまう。
「俺だよ、俺。」
僕はそろそろベッドでくたばろうとしているのに、まだまだ、これから仕事をする人がいるんだ、ということが、自分の部屋にいると理解に苦しんでしまう。
  だから、きっと、僕の声も、いつになくぶっきらぼうになってしまうのに違いない。なんて、かなり言い訳がましいけど、半分ぐらいは眠いせいもあるのだ。
「何?……はやらない店を放っておいていいのかよ。」
僕に電話してくるぐらいだから、きっとヒマなんだろう。
「ちゃんと開けてるよ。」
そして、顔が見えない分、僕の皮肉も逞しくなったりする。
「閑古鳥の御一行様で満員なんだろ?」
へっへっへ。ざまあみろ、言い返せないだろう。
「知が来てくれないから、客が来てくれないんだよ。」
会話が自分に不利になると、からめ手で来るもんなあ。
「ガキの僕じゃ、マスターの店には合わないはずだろ?」
こういうところ、僕って、自分でも感心するぐらい執念深いよなあ。
  どうやら、会話の手順を間違えたことに気づいたらしいマスターが、電話の向こうで、わざとらしくセキをした。
「……。」
普通なら、このへんでとりあえず受話器を置いちゃうのに、
「今晩、本当に出て来ない?」
このしつこさは、ひょっとして、まずいことの前兆だったりする、みたいだ。
「今日は、出て来ないんだってさ。」
よくわからない第三者に向かって、マスターがそう言った。
「じゃあ、もう帰る?」
僕は、不安におののきながら、受話器を握り締めていた。
「もしもし……?」
なにやら、ひとしきりあって、自信たっぷりのマスターの声が、受話器の中から聞こえた。
「誰かいたんだ……?」
まさか、とは思うけど、
「残念だったな、せっかく、知の大好きな彼が来てたのにさ。」
大人って、汚いよな。
  内心、少なからず口惜しくはあったんだけど、彼のことは何とも思ってないことになっている手前、
「いいよ、僕、明日、仕事だしさ。もう眠いもん、睡眠不足はお肌に悪いからな。」
強がってみせたりする。
「それに、どうせ、あいつと一緒だったんだろ?」
逃げの姿勢がミエミエだなあ。
「よくわからないけど、一人だったよ。」
ふん、そんなこと言って、また僕をヌカヨロコビさせる気なんだ。
「この前、知が誕生日だっただろ?」
それがどうしたんだよ。どうせ、僕は、また一歩オジンの仲間入りだよ。
「それでさ、彼が、知に、誕生日のプレゼントだって……。」
え?!
「僕に……!?」
いったい、彼は、何を考えてんだろう。
「それがさ、知の欲しがってた……。」
ん?!
「テディ・ベアのぬいぐるみなんだよな。」
思わず、僕は、沈黙……。
  どうせ、こんなこと、スキャンダル好きのマスターが、彼に入れ知恵したに違いないけど、それでも、彼が、無邪気な表情の熊のぬいぐるみを抱えて歩いてるところを想像しただけで、思わず、吹き出しそうになるはずなのに……。
「気障だなあ……。」
マスターは、僕の憎まれ口も聞こえなかったふうで、
「明日でも、取りに来るだろ?」
僕の立場に気を利かせてくれた。
  こんなことして、僕が誤解したら、どうするつもりなんだろう。
「じゃあな、俺は忙しいから、そろそろ電話を切るぞ。」
わかったよ。
「後は、適当にやるんだな。」
そう言うと、マスターは、僕の返事も待たずに、さっさと受話器を置いてしまった。
  あのマスターの店に、テディ・ベアなるものが、ちょこん、と座っている様子を想像すると、うれしいような、恥ずかしいような複雑な気持ちになってしまう。
「大人なんて汚いよな。純情な少年をもてあそんで楽しんでるんだから。」
できることなら、僕も、きょとんとして抱き締められるだけの、テディ・ベアになりたかった。そうすれば、マスターへの言い訳も、彼への言い訳も、何も考えなくてよかったのだ。だいたい、彼からのテディ・ベアなんか、どんな顔をして抱き上げればいいんだろう。大人なんて汚いよな。突然こんなことをして、純情な少年を困らせるんだから。
「くしゅん。」
すっかり湯冷めしちゃって、風邪でもひいたら、絶対、彼のせいだからな。