兄貴 3

日曜日, 3月 31, 1985

 なぜ、今日、僕が、淫乱旅館に行く事態になったのか、なんていうデリケートな問題について、どういうふうに弁解すべきなのか、困ってしまうところなんだけど、今日の午後のいくばくかの時間を淫乱旅館で過ごしたのは、残念ながら事実なのだ。たまたま出会った友達に強引に誘われた、とか、どうしてもサウナに入ってさっぱりしたかった、とか立派に言い訳をすることができるのならまだしも、好ましい状況ではあると思う。実際のことろ、『誘われた』とか『さっぱりしたかった』とかいうのは、ある意味では本当なのだ。もちろん、『友達に』とか『サウナに入って』とかいう部分については、大いに問題が残っちゃうわけで、微妙な言い回しが必要になる。
 まあ、早い話が、非常に苦しい言い訳になってしまう、ということなのだ。だって、街で見かけた、なかなかかわいい学生が、そういう方向に歩いていくから、思わず後を付けてしまったりするのは当然の行動じゃないだろうか。それでもって、っその学生が、割と純情そうな顔をしてるくせに、恥ずかしげもなく、つかつかと入って行っちゃうから、僕も、つい……。それでもって、ちょうど、生理的欲求が頭をもたげてきてたりして、要するに、トイレに行って『さっぱりしたかった』んだけど、こういうのって、やっぱり、言い訳にすらなってないんだろうな。
 そんなこんなで、僕は、その淫乱旅館に足を踏み込まざるを得なかった。こういう言い方はあまりに責任逃れに過ぎるような気もするけど……。それでも、僕は、
「せっかく来たんだから、モトを取らなくっちゃ。」
こういうところに来たとたんに目を血走らせる僕の友達なんかほどは、露骨に淫乱にはなり切れないから、ある程度人目を忍んで、大人しく、その『モトを取る』行為にいそしむことになるのだ。それでも、さっきの『誘われた』学生とそういう類の行為に及んだのなら、まだ僕も立派だと思うんだけど、しっかり目移りしちゃってるから、我ながら、自己嫌悪だったりする。なんだかんだ言い訳してみても、つまるところ、兄貴とは別の男、っていうのに食指が動いたのであって、例の学生と、っていうわけじゃないことを、図らずも証明していたりする。
 言い訳の続きをするつもりじゃないんだけど、こういう場所では、遊びが本当に遊びで済ませられるから、かえってホッとするようなところもある。無関心を装った無遠慮な視線を絡ませあって、一瞬の手応えを逃さず、相手に近寄っていく。これは、ゲームに過ぎないんだ、と納得はしていても、いつも、苦笑してしまう。僕なんかは、臆病そうなふりだけはしてるけど、そのくせ、たったいますれ違った人と視線が合ったのには、ちゃんと気づいているのだ。もちろん、それは、相手の男にしたって同じことで、いつのまにやら、僕と彼は、並んで立っていたりする。全然、偶然なんかじゃないんだけど、互いに、どうしてこの人の隣に立っているのかわからない、みたいな表情をしているんだから、真面目に考えるとやっぱり苦笑してしまう。
 彼の指先が、ぎこちなく僕の手の甲の腱をなぞり、希望と絶望をごっちゃにしたような目つきで、ちら、と僕を振り返る。
「……。」
どうやら、僕が積極的に出るべき相手じゃなさそうだから、僕は、視線だけで彼の方を、ちら、とうかがって、できるだけ表情を変えずに顔を伏せた。こんな、何気ない仕草のやりとりだけで、相手の肉体を予約できてしまうのだから、このすばらしいシステムにもうちょっと感心するべきなのかもしれない。ゆるく開いた僕の掌に、彼の指先が、そっと、すべり込んできて、ゆっくり僕の情感を愛撫する。
 考えてみれば、こんなふうに、相手の反応を確かめながら行動を選択していく課程、っていうのは、セックスそのものと同じぐらい、微妙で、面白いんじゃないだろうか。ひょっとしたら、僕なんかはセックスそのものよりも、こういう手順のほうが楽しくて、淫乱旅館なるところへ出入りしてるんじゃないか、とさえ思えてしまう。僕が、彼の指先をそっと握り返すと、
「あっちへ、行こうか……。」
彼は、僕を振り返って、僕の耳元に吹き込んだ。僕は、黙ったまま、うなずいて、先に歩く彼の後ろを、うつむいて歩いた。
 それにしても、暗いところ、壁に近いところほど、人が群れているのは、当然のこととはいえ、なんだか変な気がする。そして、僕たちも、その中に埋もれることになるんだけれども、やっぱり、できることなら、もう少し雑音の少ないところで、そういう行為にいそしみたい、と思ってしまうのだ。
「う……ん。」
何とか人の隙間に割り込んであお向けに寝た彼に腕を引っぱられて、僕は、その上に覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「ふう……。」
彼の逞しい胸が、驚くほど暖かくて、不思議とそんなことだけで急に興奮してしまったりする。僕の腰のあたりにも、急に堅くなり始めた彼の熱いものが感じられた。
 その堅い感触を楽しんでいると、僕の背中をくすぐっていた彼の指先が、すっ、と動いて、バスタオルの裾から、僕の太腿の奥に回り込んできた。
「あっ……。」
僕は、体を緊張させて、その瞬間を期待していた。僕がちょっと腰を浮かせて、彼の手が自由に動ける空間を作ると、期待に充血したものは、ぎゅっ、と握り締められた。彼は、ゆっくりしごいたり、ねじったりして、僕への刺激を繰り返した。
「ほら……。」
そして、僕の手も、バスタオルの下で伸び上がった彼のものを握っていた。それは、嬉しくなるぐらい火照って、僕への欲望で堅く充血していた。