兄貴 6

日曜日, 3月 31, 1985

 僕は、例によって、バスタオルを腰に巻いて風呂から上がってくると、兄貴なんか、しっかり、ロッキングチェアに腰掛けて、得体の知れない本を読んでたりするのだ。しかも、相変わらず、トレーナにパンツの組み合わせだったりする。
「……。」
無関心を装ってはいるけど、兄貴なんか、僕がパンツをはいてるとこを、イヤラシイ目つきで、ちら、と盗み見ていたりするのだ。見向きもされなくなったらどうしようもない、というのも、ある程度、真理だと思うから、健気にも僕は、そのイヤラシイ視線を我慢することにする。それにしても、形だけとはいえ、自分のほうから
「出かけようか……?」
なんて言い出したくせに、全くそういう気配をみせないのは、いつもながら立派だと思う。
 なんだかんだ言いながら、結局は、兄貴のもくろみ通り『せっかくの雨だから、たまには、ぼう、っと』していることになってしまう。それはそれで、いいことだと思うんだけど、はっきり言って、僕は、退屈なのだ。兄貴なんか、勝手だから、自分だけ訳の分からない音楽をかけて、得体の知れない本を読んで、るんるん気分で時間が過ぎていくんだけど、こういう時、僕は、徹底的に不利だったりする。
 僕だって、一人っきりの時なら、それなりに自分自身に没頭することだってできるし、兄貴以外に感情移入の対象を見つけられないわけじゃないのだ。でも、こんなふうに、兄貴の横にいたりすると、どうしても、兄貴のことが気になってしまって仕方がない。
「こら……。」
兄貴の足元でじゃれながら、かまってくれない兄貴にすね毛を引っぱってみたりする。
 まあ、これは、多分に僕の趣味の問題だと思うんだけど、兄貴の足は、わりと逞しくて、ついでにほどほどの毛深さなのだ。だから、触り心地がなかなか良くて、兄貴が相手になってくれないときは、触ってみたり、こんなふうにいたずらしてみたりするのだ。
「よせ、ったら……。」
なんとか兄貴の邪魔をしてみたいんだから、我ながら、実に、恥ずかしくなるぐらいガキだったりする。でも、そのガキっぽさが成功して、兄貴は、例の得体の知れない本を脇へ退避した。
「この淫乱小僧が、男を見ると、すぐ手を出すんだから……。」
兄貴ときたら、目は笑ってるくせに、言うことだけは、一人前に皮肉たっぷりなのだ。まったく、年上のくせに、かわいくないんだから……。
 つまり、ぼう、っとしてる、ということは、こんなふうに、ベッドの上に押し倒されちゃう、ということなのかなあ。
「ぶつぶつ、文句を言うな。」
はあい。……僕って、素直。
「俺以外の男と、いかがわしいことをするなんて、とんでもない奴だ。」
でも、きのうの彼は、こんなふうな感触じゃなかった。
「兄貴……。」
雨の降る日は兄貴の重さに包まれていたい、なんて、さすがに照れくさくて、いくらガキの僕でも、言葉に出せない。兄貴といると、言葉に出せないことばっかりになっていく気がする。
「うん……?」
兄貴は、ちょっと顔を上げて、僕をじっと見つめた。
「なんでもない。」
やっぱり、きのうの彼より兄貴のほうが優しい、と思う。僕が目を伏せると、兄貴の唇は、僕の首筋から耳のほうへ移動していった。
「なんでもないんだから。」
耳元に兄貴の熱い息づかいを感じながら、ふぃに、僕は、自分が、兄貴の優しさではなくて、この胸から響いてくる兄貴のバリトンを好きだったことを思い出して、すっかり嬉しくなってしまったのだ。