垣本君のこと -え?!

火曜日, 11月 30, 1982

 時々、僕は、自分が全くの弁解人間なんじゃないか、と悩んでしまうことがある。でも、開き直りの精神でもって弁解してしまうなら、物欲しい、というか、不純な目的でもって、波打ち際で波とたわむれている人達を見ていたわけじゃないのだ。もちろん、高校生ぐらいの紺色のパンツの子が逞しい体だな、なんて感心したりはしたかもしれないけど、ただ、あまりの人の多さに、ちょっと複雑な思いをしていただけなのだ。
 だから、その赤いパンツの青年に顔を向けていたのだって、深い意味があったわけじゃないし、まあ、いい体してるな、ぐらいのところだったのだ。要するに、何が言いたいのか、というと、その日、僕が一人で泳ぎに行ったのは、もう少し体を焼きたかったからで、高校生ぐらいの男の子の若々しい胸とか、逞しい男の背中とか、そういうものが見たい、というような不純な目的じゃなかった、ということなのだ。もちろん、そういうものは、浜辺で寝っ転がってれば、嫌でも見えちゃうわけだけれども……。
 従って、そういうわけで、何の気なしにながめていたその赤いパンツの青年が、まさか垣本だなんて気がつかなかったし、第一、そんなこと思いつきもしなかったのだ。垣本が僕の隣にしゃがんで、
「栗坂さん、久しぶり……。」
なんて話しかけてくるまで、僕は、ポケッ、としてたわけで、
「あ、あれっ、垣本?!」
なんていうことになってしまった。だから、垣本の悪戯っぽい笑顔に、変にあわてちゃって、
「どうしたんだよ、こんな所で……。」
まったく、何を言ってるんだろう。海へ水着姿で来てる、っていう場合、だいたい目的は決まっているのに、すっかりうろたえてる自分がおかしかった。
「栗坂さん、全然変わってないですね。」
垣本はそう言って、ちょっとまぶしそうな目付きをした。その垣本自身は、変わり過ぎだと思う。すっかり日に焼けて、あせっちゃうぐらい逞しい体になって。じりじりと背中に焼き付ける日差しの中で見るからそう思うのかもしれないけど……。
 でも、考えてみれば、垣本とは、高校卒業以来だから、もう、二年半も会ってないことになるわけで、変わってて当然なのかもしれない。
「今は?」
えらく遠いところにある大学にあった、ということだけれども……。
「ちゃんと二年生になりましたよ。」
そんなことを威張らなくったって、普通の大学なら、一年生は自動的に二年生になっちゃうんだぞ。
「わざわざ、あんな遠いところまで……。」
こんなのは僕の自惚れだってわかってるけど、絶対、僕と同じ大学へ来てくれると思ってたのだ。もちろん、垣本がどこの大学へ行こうと勝手だし、僕の自惚れにしたって、たぶんに独りよがりな物には違いない。
「でも、あの街にはずっと憧れてましたから……。」
えらく不純な理由で大学を選ぶんだなあ。そんなところが、また、垣本らしい気もする。
「ふうん……。」
もちろん僕は、そんなふうに納得してみせたけど、ちょっと会わないうちにこんなに男っぽくなっちゃうなんて、まったくひどい話だと思うなあ。
 不純な目的はなかったはずなんだけれども、こんなふうに、不純の対象ができちゃうと、どうしても、視線が不純になってしまう。高校の時からかわいいとは思っていたけど、長いこと会わなかったもんだから、もう、記憶の中の垣本なんか、存在感を失っちゃってるのだ。つまり、悪戯っぽい笑顔がかわいい、とか、学校の廊下で会うと、「先輩、先輩。」なんていつも呼びとめられた、とか、わりとどうでもいいことだけは憶えてるのに、体格とか、顔とか、性格とかいった本質的なことは、だんだん記憶から欠落しちゃっていつのまにやら不鮮明になっちゃっているのだ。だから、久しぶりに、しかも、裸の実物を目の前にしたりすると、わけもなくどきどきしちゃって、へえ、すべすべした肌だけど部分的には十分毛深そうだなあ、とか、やたらがっしりした肩だなあ、とかとにかく垣本の体をじろじろ見てしまう。垣本も、意識してるのかどうかはわからないけど、太腿を広げてしゃがんでるから、どうかすると、赤いボクサーパンツの裾から白いサポータが見えたりするのだ。
 そんなこんなで、久しぶりの垣本だから、僕はやたらあがっちゃって、まともな内容の話ができなかった。
「栗坂さんといっしょだった……さんは、どうしてるんですか?」
なんていわれて、違う奴と間違えちゃって、ちゃんと学部へ進んだのに留年したことにしたりとかで、唯一の僕のちゃんとした質問は、
「こっちには、いつまで……?」
ぐらいのところだった。
「八月いっぱいはいます。」
垣本は、例の悪戯っぽい笑い方をしたけど、ついでに、独り言みたいに、
「やっぱり栗坂さんと同じ大学へ行けばよかったなあ……。」
なんて付け足すもんだから、僕は、大あわてで聞こえないふりをしなけりゃならなかった。だって、そんなふうに言われたら、変な期待をしてしまうのだ。