小林のこと 1

日曜日, 8月 31, 1980

 小林信一というのは僕の後輩なんだけれど、僕にとってはちょっとばかり苦手な相手なのだ。ま、悪いのは確かに僕に違いないんだけれど、ノックをしなかった小林だって相当悪いのではないだろうか。第一、昼間からオナニーをしてはいけない、ということはないと思うし、たまたま「助平」なことを想像していて下腹部が窮屈になったから、ベッドに横になってズボンとブリーフを脱いで堅くなったものを介抱してやっていただけの話なのだ。にじみ始めた粘液を使って右手がなめらかに動き始めたときに、いきなり部屋の戸が開いたのだ。
「先輩……。」
かの小林信一君だった。
「あ!?」
本当に僕はびっくりしたけど、どうやら部屋の鍵をかけ忘れていたらしい。ところが、困ったことに、手の運動を中止しても今さら手遅れだったのだ。
「う、うーん。」
なんてうめきながら、シーツかなんかを握りしめて必死でこらえたんだけれども、僕の意志ではどうにもならなくて、そのことでかえって激しく振動してしまって胸から下腹部にかけて派手に汚してしまったのだ。ちらっと見て部屋に入ってきたのが小林だと気づいていたから、小林に見られている、と思うことで、余計に興奮したのかもしれなかった。
 小林は、びっくりした顔で相変わらず戸口に突っ立っていたので、僕は恥ずかしさをこらえて言った。
「用があるんなら入れよ。どっちにしても廊下から見えるから戸を閉めてくれ。」
普通の奴なら、『ごめん』か何か言ってあわてて出ていくと思うのだけれど、やっぱり小林や普通じゃないから、おずおずと部屋に入ってきて、後ろ手に戸を閉めた。
「先輩、すごいんですね……。」
ちょっと相当、猛烈恥ずかしかったんだけれども、ベトベトのままにしておくわけにはいかないから、枕元においてあった学生の必需品ティッシュペーパーで僕が腹のあたりを拭いていると、小林は感心したようにそう言ったのだ。
「すごいって……。」
顔が赤くなってるかなあ、と思ったから、ブリーフを探すふりをして下を向いたまま僕は尋ねた。
「……だって、僕が見てる前なのに……。」
そりゃあ確かに、小林に見られてると思ったからこらえきれなくていってしまった、みたいなとこもあるけど、どうも小林は、自分がいきなり部屋に入ってきたからこういうあんまり愉快じゃない事態になったのだ、ということは自覚してないみたいだった。
「おまえなあ、他人の部屋にはいるときはせめてノックぐらいしてくれよ。」
僕がそう言って初めて、
「あ、ごめんなさい……。」
なんて一応あやまったのだけど、よく考えてみると、今さらあやまってもらったところで遅いような気もするのだ。それで僕はそれ以上追求するのはやめにして、それよりも裸の下半身を隠す必要に迫られたので、ベッドの下に落ちていたブリーフを拾い上げて急いではいた。まだちょっと名残の粘液がにじみ出そうな感じはしたのだけど、無神経な小林の奴がジロジロ見てるからそんなにていねいにティッシュで拭いてるわけにもいかなくて、そのままブリーフをはいてズボンに足を通すと、やっとまともに小林の顔を見て話ができる状態になった。
 小林は一つ年下なんだけれどもサークルが同じだったりするから、同じ下宿なのをいいことに僕の部屋へしょっちゅう遊びに来て、早い話が入り浸っているのだ。僕自身は煙草を吸わないし、部屋に匂いがこもるからあんまりうれしくないんだけど、僕の意向なんかはまるっきり無視で、わざわざ自分の部屋から灰皿を持ってきて吸い殻が山盛りになるぐらい煙草を吸うし、これでも僕は一応真面目な学生だから勉強でもしようとすると、なんだかんだと邪魔はするし、酒を飲んだら飲んだで自分の部屋へ帰らず僕のベッドを占領してしまって、仕方なく僕が小林の部屋で寝た、なんていうこともあるし、とにかく僕はもう小林にはお手上げの状態だったのだ。
「おまえは本質的に厚かましいんだ。」
とはっきり言ってやっても、小林は知らん顔で最近はあきらめの境地だった。
「まずいことになったなあ……。」
とは思ったけど、開き直るしかなさそうだった。
「何か用か?」
ニコニコ笑って応対するわけにもいかないから、ちょっと不機嫌そうな顔をしてベッドに腰かけたままで尋ねた。
「別にちょっと……。」
遊びに来たということらしい。小林はいつも僕のベッドに腰をかけるんだけど、今日は僕が腰かけているから仕方なしに机の椅子に腰を降ろした。
 妙になれなれしい奴で、扱いかねてるんだけど、本当にかわいい顔をしてるからあんまり冷たくもできないのだ。
「先輩、わりと大きいんですね……。」
いきなり何を言い出すんだよ。僕は、小林を絞め殺してやりたい衝動に駆られたんだけれども、そのかわいさに免じで許してやることにした。
「そ、そんなことないだろ。」
精一杯の僕の抗議だったのに、小林の馬鹿は僕がこの話題を気に入っているとでも勘違いしたのか、
「それに、わりと毛深いし……。」
なんて、ますます話を深入りさせてしまった。別に他人にいちいち指摘してもらわなくても、自分の毛深さはいろんなとこで自覚してるつもりなのだけど、小林は親切の押し売りがしたいみたいだった。
「ひょっとしたら胸毛もあるんですか?」
あるもんか。胸毛のある人には悪いと思うけど、自分の横に寝てる男の胸に生えてる分にはどうということはないにしても、もし自分の胸にそんなものがあったりしたら、やっぱり人生を考えてしまうに違いない。