僕は、なんとなくトーストをバターで塗り込めながら、兄貴がベーコンエッグを焼いてくれるのを待っている。
「手伝おうか?」
兄貴の返事は、
「おまえなんか邪魔になるだけだよ。」
わかっているけど、
「僕だって、目玉焼きぐらい作れるよ。」
兄貴の声が聞きたいから、
「スクランブルエッグは目玉焼きとは違うんだぞ。」
朝食用の会話を探してみる。
「そんなにバター塗っちゃ駄目じゃないか。」
そんなに、って……。
「ぱさぱさのトーストなんか、僕、嫌いだもん。」
兄貴の笑顔だけでいい、なんていう甘ちゃんじゃないから、
「だから、牛乳があるんだろ?」
朝食用の会話しかできないことがもどかしくて仕方がない。
「直接……、飲んでみたいな。」
気がつかないふりをして、誤魔化されてしまう。僕なんか、自分で勝手に、きのうの夜のことを思い出して堅くしちゃってるのに……。
せっかくの、僕のそんな努力も、新聞の面白い朝には台無しになってしまう。
「買いたい本があるから、今日、本屋につき合って欲しいんだ……。」
せっかく、僕がプロポーズしても、
「うん……。いいよ。」
新聞なんかのどこがいいんだろう。
「まったく、傑作だよな。」
僕の不機嫌には気付こうともせずに、新聞のしかも一面なんかを見ながら笑うなんて、
「本当につき合ってくれる?」
もう、ほとんどあきらめちゃってるからいいけど……。
「久しぶりだから、どこにだってつき合ってやるよ。」
僕は、『本屋に』つき合って欲しいんだ。
「ずるいよ、そんなの……。」
ずるい兄貴には、僕の独白なんか、聞こえるはずがない。
他にすることもないから、僕は、ベーコンエッグとトーストを、独白といっしょに、牛乳で流し込む。最近、胃が痛かったりするのは、きっと、無理に飲み込んだ独白が、消化不良を起こしているからに違いない。
「消化薬でも飲んどこうかなあ。」
もちろん、これに対して、
「胃でも痛いのか。」
くらいの質問は我慢すべきところだろうけど、
「胃薬なら、そこの引き出しに入ってるぞ。」
ひょっとしたら、わかってくれるんじゃないか、という淡い期待は、
「兄貴といると、消化不良を起こしちゃうんだ。」
裏切られることになる。たぶん、実際のところ、兄貴にとっては、朝食用の会話なんかよりもずっと、『社説』なんていう見出しの方が興味深いのだろう。だからこそ、僕は、消化不良を起こすことになるのだ。
「……。」
まったく、ベーコンエッグなんていう料理は、ぺらぺらで食べにくいベーコンを、さらに食べにくくするために、不器用な西洋人の考え出した料理に違いない、と思う。
「ごちそうさま。」
皿の隅に残った一切れのベーコンを、なんとかフォークですくい上げようとしていた僕の様子に気づいたら、兄貴は大笑いしただろう。今朝の新聞が面白くて、良かった。
兄貴には面白い新聞があるのに、僕には朝食を食うことぐらいしかやることがないのはどうしてだろう。
「感受性に欠けるからだ。」
冗談半分で兄貴は笑う。でも、新聞のどこを探したら『感受性』の広告なんか載っているというんだろう。新聞には、まだ想像の余地が残されているけど、小説なんていうやつはもっとひどいと思う。最初のページから順番に活字を追っていきさえすれば、作家の思い通りに話が展開していくなんて、感受性うんぬん以前に、屈辱的でさえあると思うのだ。だいだい、新聞だとか小説なんかの愛好者にろくなのはいない。
「俺もそうか?」
兄貴が苦笑しながら言うから、たいてい、僕はここで口ごもってしまう。
「本屋には、つき合ってくれないのかなあ。」
僕が、新聞の向こうに兄貴の顔を想像しながら、ぼんやりあきらめ気分でいると、
「じゃあ、早いとこ、出かけるか。」
兄貴は、ばさばさと新聞をたたんで、僕に投げて寄こした。
「僕、新聞なんか、読みたくない。」
兄貴は、大きく伸びをしながら、
「もうちょっと、おまえも、世間に迎合しなきゃ駄目だぞ。」
皮肉めいた言い方なのだ。
「僕……。」
兄貴さえいればいいもん、という言葉を飲み込んでしまったことをちょっと後悔した。
待ちぶせ 4
木曜日, 3月 1, 1984