待ち合わせ 1

水曜日, 1月 30, 1991

 仕事をしているときに、自分のつきあっている奴から電話がかかってきても、一瞬、理解できないことがある。
「もしもし……。」
もちろん、声を聞いただけで、奴からの電話なことぐらいすぐわかるけど、
「はい、栗坂です。」
瞬間的に、プライベートな声に切り替えることなんかできるわけがない。
「俺だけど……。」
だから、奴は、俺が周りに気を使っていると思うのか、俺がプライベートな声に切り替えた後も、
「なんだおまえか……。」
妙に遠慮がちに話す。
「今、電話しててだいじょうぶ?」
昔は俺も新入社員だったのに、いつのまにやら俺の周りは後輩ばっかりになっちゃって、いまさら私用電話を誰に遠慮する必要があるというんだろう。
「だいじょうぶだよ。」
俺がだいじょうぶだと言っているのに、それでも奴は、必要な用件だけで手短に済ませなきゃいけないと思い込んでいるみたいだ。(ベッドの中ではあんなに甘えるくせに……。)

 だから、他愛ない話なんかはぬきに、すぐ電話をかけてきた用件に入ってしまう。
「今日、時間ある?」
まあ、そういうところがかわいいんだ、と、月並みな表現をしてみてもいいんだけど……。
「今日?」
俺の返事を、奴が、緊張して待っているのがわかる。
「うん……。」
おまえの誘いを断ったことなんか、今までになかっただろ?
「いいよ。……いつもぐらいの時間なら。」
奴の、ほっとした顔が受話器の向こうに見えるようだ。
「今日、俺、バイトだから、1時間ぐらい遅くなると思うけど……。」
奴の声がうれしそうなので、俺までうれしくなってしまう。
「どこで……?」
一通りそれらしい待ち合わせ場所を考えた後で、
「じゃあ、『かもめ』でいいか?」
結局、奴のお気に入りの飲み屋で待ち合わせになってしまう。
「うん。」
待ち合わせの約束をするときは、たいていは、俺が奴のアパートに電話を入れて誘うんだけど、こんなふうに、ときどき、奴が俺の職場に電話を入れてくれることもある。そんなときは、なんとなく機嫌よく仕事ができてしまう。

 いつも、俺は、平気だから電話しろ、と言っているのに、奴は、俺の職場にはなかなか電話をよこさない。それどころか、俺の部屋に電話をかけるのさえ、渋っているように見える。
「俺、電話って、自分からかけるのが苦手なんだ。」
と言うよりも、俺が部屋にいるときは、しょっちゅう俺のほうから電話をしてるから、奴が俺に電話をする必要がないと言うべきなのかもしれない。
「どうして……。」
でも、奴からの電話がないのは、やっぱりなんとなく寂しい。
「うーん、いなかったりすると、がっかりするから……。」
まあ、俺が部屋に帰るのが遅いのも、奴があんまり電話をよこさない原因かもしれないなあ。そうは思うけれど、
「じゃあ、せめて、職場に電話してくれよ。」
俺だって、奴からの電話を待っている時間を楽しみたい気持ちはある。
「でも、職場に電話なんかして、だいじょうぶ?」
奴が俺の部屋には電話をよこさないとしたら、俺が奴からの電話を待てるのは職場だけ、ということになる。
「平気、平気。ちゃんと電話してきたら、晩飯ぐらい、おごってやるよ。」
こういうおいしい(!)話で誘っているにも関わらず、なんだかんだと変に気を使って、結局のところ奴のほうからは滅多に電話をよこさない。

 というわけで、仕方ないから俺が電話するしかないんだけど、ところが、奴も、バイトとか結構忙しいらしくて、俺のほうから電話をかけてもなかなかいなかったりする。だから、奴を誘うとしたら、夜中に電話したりしないといけないわけで、
「だって、電話を待ってるのも、なんだか寂しくって……。」
俺は仕事が遅いことが多いからいいんだけど、あんまり夜中だと、今度は、奴が寝てたりするのだ。
「ごめん、もう寝てた?」
そんなとき、奴は、
「ううん、だいじょうぶ……。」
なんて言ってるんだけど、全然話しが通じなくって、へたをしたら、目が覚めたときに俺から電話があったことさえ憶えていなかったりするから、
「じゃあ、また電話するよ。」
ろくに話しもせずに電話を切ってしまうことになる。
「いっそのこと留守番電話にしちゃえばいいのに……。」
まあ、お互い、電話に関しては変に不器用で、なんとなく苦笑してしまうことが多い。