想い草 5

金曜日, 9月 30, 1983

 だから、別に、期待なんかしてたわけじゃないのだ。つまり、
「知くん、俺といっしょに暮らさないか?」
なんていう、馬鹿馬鹿しくもうらやましい台詞を良ちゃんの口から聞きたい、なんて思ってたわけじゃない。いくぶん気障な言い方をすれば、黙ったまま、朝まで抱き締めていて欲しかっただけなのだ。まあ、残念ながら、僕だって、そこまで甘ちゃんではないから、そういうことが、少なくとも、物理的には、不可能、だってことをわかってるつもりだけど、良ちゃんのほうが、僕より先に、すやすや眠っちゃうなんていうのは、僕にしてみれば、少なからず寂しい現象なのだ。仕方がないから、僕はもう一つの布団にもぐり込んで、寝ることにした。
「なんだ、もう寝るの?」
僕がごそごそやったもんだから、良ちゃんなんか目を覚ましちゃって、こういうことを言うのだ。
「うん……。」
だって、うなずいてみせるより他に、僕は、いったい、どうするべきだ、というんだろう?
 まあ、こういう分類の仕方は邪道なのかもしれないけど、まず、興味本位週刊誌ふうに、『寝てみたい男』と『いたずらしてみたい男』っていうのがあると思うのだ、僕の場合。もちろん、そのどちらにも分類不可能なのもあることはあるけど、そういうのは僕の価値観の埒外だから、ご遠慮いただくことにして……。だいたい、後者の『いたずらしてみたい男』というのは、例えば、やたらと尻が可愛い、とか、セックスのセの字も知らないようなウブっぽそうな学生服、なんていうのが多いわけで、まあ、マジに寝てみるのも億劫だけど、尻の肉の弾力を楽しみたいとか、どういう表情で射精するのか知りたい、とかいう興味の対象なのだ。もちろん、だから、『寝てみたい男』との差なんてのは微妙なわけで、尻が可愛くって、かつ童顔だったら寝てみたいことになる、とか、高校生とは思えないがっしりした体格の学生服だったら、寝てみたい、とか、そこらへんは、まあ、悪く言えばいい加減なのだ。
 それで、『寝てみたい男』っていうのは、いわゆる『下腹部がうずく』っていうやつで、これは、多分に、僕の精神状態とも関係があるみたいだ。つまり、発情してると気なんかには、わりと見境なく、誰とでも『寝てみたい』なんて思ったりするわけなのだ。それはいいとしても、その『寝てみたい男』が、曰く、必ずしもいい人じゃないから、世の中、悲劇なのだ。僕がもともと飽きっぽい性格なのかどうかはわからないけど、それでも、やっぱり、一晩いっしょに過ごすと、うんざりしてしまうような人っていうのはいると思うのだ。たぶん、相手の人だってそう思っているだろうけど……。そういう意味では、
「一晩ぐらい寝たって、減るもんじゃないんだから……。」
なんて言ってるくせに、後悔したりすることも、ないわけじゃない。
 でも、僕は、馬鹿だから、一晩いっしょの布団で過ごした、ってことは、特別なことだと思い込んでしまうのだ。なんとなく、相手がもう自分のものになってしまった、と錯覚してしまうようなところがある。自分自身は、束縛されたくない、なんて思ってるくせに、我ながら、実に、身勝手だ、とは思うんだけど……。
 例えば、良ちゃんが、どんなふうなよがり声を出すか、なんて言うことを知ってても、それはそれ以上のことじゃないんだ、ということが、理屈じゃわかってるけど、どうしても、ついつい、一晩いっしょに過ごしたことをネタに甘えてしまったりする。だから、すねたふりなんかをして、まだ眠っている良ちゃんの鼻をつまんで、無理矢理、起こしちゃったりするのだ。
「うう……ん。」
良ちゃんは、例の礼儀正しさで、怒ったりなんかはしなくて、
「早いんだね、知くん。」
なんて、眠そうな目で僕を見る。
 そして、この段階で、『寝てみたい男』っていうのが、目覚めと共に、そのまま「お早う」のキスに入っちゃうのと、さり気ない「お早う」を言う人と 、二つに分かれちゃうのだ。
「お早う……。」
世間なんてのは、いつになっても、僕みたいな純情少年に冷たいから、僕がちょっと口ごもった意味なんか、良ちゃんは全然気づいてくれない。
「モーニングでも食いに行くか?」
僕が欲しいのは、トーストでもコーヒーでもなくて、「お早う」のキスなのに、ひょっとして、故意に無視されてるのかなあ。
「うん……。」
僕は、のびをした良ちゃんの腋毛に、意味もなく胸をドキドキさせて、それでも、やっとうなずいてみせた。
「知くんは、朝に強くていいなあ。俺は朝が苦手だから……。」
良ちゃんの隣に眠ってたりしたら、気になっちゃって、すぐ目が覚めちゃうのも無理ないと思うんだけど……。
 結局のところ、良ちゃんのところに泊めてもらって、減ったわけじゃないんだけど、やっぱり、こういうのは、ちょっと寂しいと思うのだ。
「良ちゃん、きのうは、どうもありがとう。」
僕が、コーヒーかなんかをすすりながら、神妙に礼を言うと、
「うん……。俺もちょっと二日酔いみたいだなあ……。」
あくびをしながら、良ちゃんは、ちょっと目も赤いみたい。
「でもさ、知くんは、本当のところは、どういう人が好きなの?」
つまり、全然、わかっちゃいないんだよね。
「良ちゃんみたいな人……。」
なんて、とてもじゃないけど言えないから、
「さあ……。」
善良な笑顔でもって、誤魔化してしまった。けど、
「俺なんかは?」
なんていうことを言ってくれないところをみると、良ちゃんにとって、僕は、単なる、『寝てみたい男』にすぎなかったのかなあ、かなんか思いながら、すっかり冷めてしまった苦いコーヒーをすすっていた。