知くん子守唄(ララバイ) -F

月曜日, 9月 30, 1996

俺なんかは、コーヒーそのものを飲む、というよりも、それに付随する雰囲気を楽しむ傾向が大だから、そういう類の店に好んで通うようになるのだ。
「またこの店ですか?」
その点、知くんは、味本位だから、なんだか疲れたような感じのするところでも、お気に入りの紅茶だか、ココアだかがおいしいと、足繁く通ったりする。
「そんなふうに言うなよ。ここは、何となく落ち着けるから好きなんだ。コーヒーもそんなに不味くないだろ?」
もちろん知くんは、俺の見解に同意してくれたりはしない。
「俺、コーヒーより、紅茶のほうがいい。」
口のへらないやつなんだから。
「だったら、紅茶を注文すればいいじゃないか。」
すると、知くんは、大いに不満そうな顔をして、
「だいたい喫茶店なんていうのは……。」
何か言いかけてたんだけど、
「何にしましょう。」
なんて、物静かな感じのウェイトレスが来たので黙り込んでしまった。
「あ、俺はホットモーニング。……知は紅茶にするのか?」
知は、俺の皮肉がわかったらしくて、
「俺も、コーヒーでいいですよ。」
と、いたく不機嫌だ。
俺は、なんだかおかしくて苦笑してしまったけれども、あんまりこういう状態で放っておくと、知くんの機嫌が修復不可能になってしまう危険性が高いので、
「さっきは何を言いかけてたんだ?」
機嫌をとってやることにした。
でも、せっかく俺がニコニコしながら尋ねてやっているのに、
「別に……。」
そっぽを向いちゃうことはないだろう?
「そんなに怒るなよ。」
光線の具合だとは思うんだけど、こうして見ると、知くんって意外と端正な横顔なんだなあ、なんて感心してしまう。多分にあばたもえくぼ式のところがあることを認めるとしても、セピア色に変色してしまった写真にでも写ってそうな、古風な感じの知くんなのだ。
「怒ってるわけじゃないけど……。」
こんなふうに、突っ張りきれないところがかわいいんだよな。
「どうせ、また、俺の悪口だろ?」
本当にそうなら、ちょっとショックだけど……。
「悪口には違いないけど、先輩の悪口なんかじゃないですよ。……だから、喫茶店で出してくれる紅茶っていうのは、どうしてあんなにひどいのか、と思って。」
つまり、不味いということだな。
「喫茶店で出してくれる紅茶って、出涸らしを10回くらい煎じたようやつか、そうでなけりゃ、味も匂いもしない、ただの色つきのぬるま湯なんですよ。」
店のマスターに聞こえるんじゃないかと思って、思わずカウンターの方を見てしまう。
「そこまではやってないと思うけどな。」
俺は、つい、知くんをたしなめたりしてしまうだけど、こういう時にはかなり逆効果なのだ。
「でも、他にどう考えたら、あんなにひどくできるんですか?」
まあ、こんな知くんの言い方にめげるほど、知くんとつきあいが短いわけじゃないから、
「さあ、きっと、店のほうでも客の顔を見て出してるんじゃないか?」
と、とぼけてみせた。
「あー、また、そんな言い方する。」
自分だって、しょっちゅう、もっとかわいくない言い方をしてるじゃないか。
「何か悪いこと言ったか?」
こういう場合には、ポーカーフェイスに限るのだ。
「ぶー。」
知くんは、ぐちぐちと捨て台詞を口の中でつぶやいたけど、残念ながら聞き取れなかった。
「でも、知も、自分のこととか、俺のこととかでなけりゃ、結構、素直にコメントしてみせるのにな。」
わかってるくせに、知くんは、わからないふりをして、
「え?!」
なんて首を傾げてみせる。
「多少、悪い方に誇張しすぎる傾向はあるけど……。」
俺は、自分でそう言って、思わず、くすくす笑ってしまった。
「何が?」
だって、知くんのとぼけた顔っていうのは、いかにも、『俺は何にも知りません』っていう感じで、やけにかわいかったりする。
「要するに、知くんは、口が悪い、っていうこと。」
知くんは、用心深く、一呼吸、言葉を探してから、
「あー、そんなこと言って……。口の悪さなら、先輩だって同じでしょう?」
当たり障りのない言い方で反論してきた。
こんなふうな議論になると、知くんは、てきめんに逃げ腰になってしまう。
「自分のことになると、知は、てんで臆病なんだから……。」
本当は、俺の言いたいことなんか、最初からわかってるくせに、
「臆病?」
俺の気持ちを測るように、何もかもを俺の口から説明させようとする。
だから、
「例えば、知は、俺のことを、どう思う?」
多少汚いやり方だとは思うけれども、逆に質問してしまったりする。
「どう、って……。」
あくまでも、知くんはしらじらしい。
「だから、知にとって、俺は、どういう存在なのか、ってこと。」
これは、ちょっと気障かなあ。
「急に何を言い出すんですか……?」
そうやって、自分に不利な話題になると、はぐらかそうとするんだから……。
「駄目だぞ、誤魔化そうったって……。」
でも、確かに、こういう質問に対する知くんの回答には興味がある。
「先輩は、俺の先輩で、その……。」
そんなこと、あたりまえだろ。
「その……?」
ちょっと困ったような顔をして、知くんが、何とか『正解』を考えようとしている。
「え、と……。尊敬してます。」
そんな文部省的発想しかできないようじゃ、立派な大学生にはなれないんだぞ。
「ほら、そうやって、適当なこと言って逃げるだろ?」
もっとも、『俺のことをどう思う?』なんていうのも、実に無意味な質問には違いないんだけど。
「だって……。」
知くんは、額に汗をうっすら浮かべて、何とか劣勢を挽回しようとしていて、なかなかかわいくてよろしい。
「何だよ。」
結局は、俺も、甘いんだよな、知くんに。
「そんなこと、言えないでしょう?」
まあ、確かにそうだ。
感情と言葉っているのは、相容れないものらしいから……。
「何を……?」
今度は、俺の方がしらじらしかったりしたかなあ。
「だから、俺が、先輩のことを、どう思ってるか、なんていうこと。」
それも確かに一般論ではある。
普通は照れくさくて、あんまり堂々と言わないもんだろう、と思う。
でも、それは、あくまで一般論に過ぎないんだから、知くんの場合は別の話だ。
「もっとはっきり、思っていることを言ってもいいと思うんだけどな。」
誰のことよりも、自分の感情を、もっと大切にするべきじゃないかと思うのだ。
「そんなこと言ったって……。」
あいまいに笑って、残りの台詞は飲み込んでしまう。
「いつも、何か言いかけて、途中で誤魔化しちゃうだろ?」
もうちょっと、知くんの本音を聞きたい、と思っている時なんかは、いつも悔しい思いをさせられるのだ。
「誤魔化してるわけじゃないですよ。ただ、その……。」
例によって例のごとく、知くんは、うつむいてしまう。
「何だよ、もっと、はっきり言えばいいじゃないか。」
ついつい、俺も言い過ぎちゃうんだけど、
「独り言!」
こういう点では、知くんは頑固だから、さすがに扱いかねてしまう。
「俺だって、いつも、言うべきことは、ちゃんと聞こえるように……。」
残念ながら、後半部分は自信なげだったりする。
「ほら、また独り言じゃないか。」
俺がそう言ったら、知くんは、ちょっと、む、とした表情で、
「独り言なんだから、放っといてください。」
俺に怒ってみせた。だけど、こういう時の知くんっていうのは、どうしようもなくかわいくて、ついニヤニヤしてしまう。
「先輩!」
知くんは、しかつめらしい顔をして俺をにらむんだけど、
「何だよ。」
相変わらず俺がニヤニヤなもんだから、どうがんばってもけんかにさえならない。
「ふえーん、先輩……。」
結局、知くんも、自分の不利な状況を見て取って、泣き落としという古典的な手段で攻めることにしたようだ。
「甘えん坊だなあ。」
俺は、やたら、こういうのに弱くって、すぐ誤魔化されちゃうのだ。
「そこがかわいいんでしょう?」
ついでに生意気ときてるから……。
「自分でそんなことを言っちゃったら、かわいくもなんともないよ。」
でも、かわいいな。
「ふん……。」
本当のことを言うと、すねたふりをしてる時の知くんが、一番気に入っているのだ。
それで、ついつい、イジワルをしてすねさせてみようなんて思ってしまう。
もちろん、俺だって、『好きだよ』とか、『愛してるよ』みたいな陳腐な台詞を、これっぽっちも信じてるわけじゃない。
だから、知くんが、そういう台詞への方向付けに、必要以上に臆病になるのも、理解できるような気がする。
「知……?」
でも、俺が知くんのことを識るのは、知くんが俺の体の下で快感のうめき声を上げる時か、さもなければ、大半がはがれ落ちてしまったモザイクのような断片的とも言える知くん自身の言葉から推測する以外にはないと思うのだ。
「……え?!」
時には、知くんの弱そうなところを突っついてみて、反応を探ったりもしなくちゃならないことになる。
「知のかわいいところが好きだよ。」
どうしたんだよ、知くん、俺の言葉が聞こえなかったふりなんかして。
「……。」
でも、いつもポーカーフェイスの知くんにしては珍しく赤くなったりしてるってことは、この言葉が正解だったみたいだな。
「……嫌だなあ。」
何だよ、わざとらしく苦笑いなんかして。
「何を笑ってるんだよ。」
知くんは、とうとう、うつむいて全身で笑い始めた。
「だって……。」
こういう時はてんで子供なんだから……。
「何かおかしいか?」
今度は、俺の方が、ポーカーフェイスで知くんを問い詰めることになる。
「急にそんなことを言われたら、照れちゃうよ。」
ふーん、そんなふうには見えないけどなあ。
「俺が知のことを好きだったら、どうして照れなきゃいけないんだよ。」
ちょっと過激だったかな。
「そ、それより、先輩、早くしないと、3げんめの講義に間に合いませんよ。」
え?!
「な、何だよ、もうこんな時間じゃないか。どうしてもっと早く教えてくれないんだよ。」
自分が真面目な大学生だ、っていうことを、すっかり忘れていた。
「だって、先輩が……。」
知くんは、俺のあわてぶりに、ニタニタしている。
「ほら、ぐずぐず言ってないで、早くしろ。」
せっかくいいところまで追い詰めていたのに、まあ、ここのところは、時間切れ、ということでかんべんしてやることにしよう。