知くん子守唄(ララバイ) -H

月曜日, 9月 30, 1996

仕方なく、俺は、知くんの御機嫌を取るために紅茶を入れるべく、立ち上がることになる。
「いつも肝心なところで黙っちゃったり、はぐらかしたりするんだから……。」
本当にずるいんだ、知くんは……。
「肝心なところ、って……?」
こんなふうに、俺は何にも知りません、みたいな顔をして聞き返すのはちゃんとその言葉の裏の意味まで理解している証拠なのだ。
「……。」
そのくせ、表情だけは相変わらず無邪気に見えるから、思わず微笑ってしまう。
「何がおかしいんですか?」
答えはわかってるだろう?
「知があんまりかわいいから。」
ふと、独占されているのは、俺のほうなのかもしれないな、という気がする。
「変なこと言わないでくださいよ。」
かわいい知くんはちょっとふくれっ面になるけど、俺が、ちゃんとポットで入れてやった紅茶を前に置いてやった途端に満足そうな表情になるので、今度は苦笑してしまった。
俺は、その紅茶を一口すすって、香りも味もなんとか知くんの合格点だったことに安心しながら、
「きっと、知は、自分の相手で忙しすぎるんだな。」
もうちょっと知くんを追求してみることにした。
「またそんな皮肉を言って俺をいじめるんだから……。ひどいなあ、先輩。」
ちゃんと甘えるべき場面では甘えて見せるもんなあ。
「だってさ、知の口癖は『いいんじゃないですか?』だろ?」
ちょっと、こじつけかなあ?
「口癖っていうわけじゃないですよ。」
まあ、そういう言い方ばっかりじゃないけど、本質的には同じような表現をしてるだろ?
「はっきり言って、知は、自分だけで満足しちゃうんだ。」
もちろん、このあたりは、可能形で表現しなくちゃいけないのかもしれない。『自分だけで満足しちゃえる』っていうふうに。
俺だって、まさか、知くんが素直に言いくるめられるだろう、なんて思ってたわけじゃないけど、
「いけないんですか?」
ここまでストレートな反論は予想していなかったので、思わず、次にいうべき言葉に悩んでしまった。
「すぐそういう反抗的な態度を取るんだから……。」
もちろん、そこが、また、かわいかったりもするんだけど。
「じゃあ、どう言えばいいんですか。……俺、泣いちゃうから。」
なんて、泣き真似までして見せたりして、
「馬鹿!」
ついつい、知くんのペースで誤魔化されてしまいそうになる。
「相手に向かってしゃべる、っていうより、自分が納得するためにしゃべってるようなところがあるだろう?」
今日は、いつもみたいに簡単にはかんべんしてやらないからな。
でも、知くんは、首を傾げて考え込むふりなんかしてみせるのだ。
「自分でしゃべって、自分で納得しちゃって、結局、最後まで言わないんだろう?」
俺にだって、だいたいのところは想像がついてるんだからな。
「俺、でも、不安だから……。」
知くんは、例によって、断定するような言い方はしない。
「はっきり言うことが?」
こんなふうに、俺に対する効果が一番高い言葉を探すようなやり方でしゃべる時の知くんは、よっぽど素直な時か、思わず絶句してしまうような皮肉を用意してる時かの、どっちかだから、俺のほうがかえって気疲れしてしまったりする。
「一度口に出した言葉って、もう取り戻せないでしょう?」
その割には、えらく世間並みな言い訳をするんだなあ。
「それは、仕方ないことじゃないか?」
ちょっと語尾を持ち上げたりして、知くんを挑発するところがミソだったりする。
でも、残念ながら、真剣に考え込んでいるふりをしてる知くんは、
「そうかなあ。」
とあんまり反応を見せない。
「知は、ナルシストなんだろう。」
ちょっとうろたえたふうの知くんも、なかなか面白い。
「そ、そんな……。ナルシストなんて言うほどじゃ……。」
今回は、切実に、言い訳になりそうな言葉を探している様子。
「自分の言ったことなんかで、相手が満足したり、喜んだりすることが、その反応そのものが目的なんじゃないか。」
うーん、これは、我ながら、ちょっとうがちすぎてる感もするなあ。
「……。」
知くんは、得意のポーカーフェイスで自分には話が見えないふりをしている。
まあ、そういうふうに考えてしまうと、やや寂しい気もするけど、
「ナルシストだから、わがままなのかもしれないなあ。」
ちょっと冷たくすれば寂しがるし、べったりくっついてやっていても素っ気ないし、知くんの取り扱いに手を焼いていることは事実なのだ。
「わがまま、かなあ……?」
自分じゃまったく気がついていないのか、知くんは首をひねったりしている。
「まあ、素直ではないよな。」
それとも、例によってポーカーフェイスかなあ。
知くんと話していると、感情の鬼ごっこみたいなものだ。
つかまえたような気がしても、するっ、と逃げられてしまう。
気まぐれな子猫を相手にしているように、すぐ押さえつけることができそうで、なかなかうまくいかない。
それどころか、下手をすると、かみつかれるぐらいのことにはなりかねないのだ。
でも、今夜は、機能に引き続いて、知くんを俺の腕の中に引き寄せておけたんだから、まあ、満足すべきなんだろう。
「俺、本気で枕になることを考えようかなあ……。」
いつになく甘えん坊の知くんが、ベッドの中で俺の肩に頭を預けてきた時、俺は、そうつぶやいてみた。
「え?!」
知くんが、俺の腕枕の中で、緊張しているのがわかる。
「知のためなら、毎日でも枕になってもいいな。」
俺も、結構ずるいから、ちゃんと独り言のふりをしたりして……。知くんのやり方に染まっちゃったかなあ。
「……。」
知くんが、どうやって言い訳するか、興味があったんだけど、知くんは、ちょっと考え込んでしまった。
なんて思ったりしたのは、やっぱり俺が甘かったみたいで、
「俺、どうせなら、羽根枕かなんかのほうがいいなあ。」
知くんは、簡単には、大人しくなんかなってくれない、ということらしい。
「それじゃあ、是非、羽根枕を用意しとくから、また、俺の隣で寝てくれるだろう?」
口説き文句にしては、ちょっと露骨すぎるかなあ……。
「寝る、だって……。ヒワイだなあ……。」
知くんはそんなことを言いながら、ちょっと嬉しそうな顔をして、くすくす笑ってみせた。
「だから、今日のところは、俺の腕枕で我慢しろよな。」
知くんが、俺の腕の中で、ごそっ、と動いて俺の肩に顔を埋めてきた。
結局のところ、知くんを腕の中に抱き寄せていられる、このほんのわずかの時間のために、気むずかしい知くんの御機嫌を取ったりしているのかもしれないなあ。
「先輩……?」
知くんのこもった声が、俺の肩をくすぐる。
「うん……?」
つい、うれしくて、知くんの頭を俺の胸の上まで抱き寄せてしまった。
「……俺、先輩の腕枕じゃなきゃ、眠れなくなってしまいそうだ。」
何て言えばいいのかわからなくて、俺は、返事をしなかったけれども、こんなに遅い時間まで知くんを起こしておいたりすると、
「……。」
明日の朝、知くんを起こすのに、また苦労しなきゃならないんだろうな、と苦笑していたのだ。