誕生日のプレゼント プロローグ

金曜日, 4月 3, 1998

 その日、俺は、なんということはなく、そのサウナに足を運んでいた。もっと充分に若い頃は、そういう場所に行くことに、自分の中でなんらかの理由づけをしていたけれど、いつのまにか『ちょっと行ってみようかな』という感覚だけで平気になっていた。
「いつからこんなふうになっちゃったんだろうな……。」
それでも、そんなことに思い至って、苦笑ってしまうぐらいには、その時の俺は、まだ若かったんだろうか。淡い期待を抱いて、それでいて、期待を抱く自分を醒めた目で見ているような……。だから、俺は、そのサウナで彼を見たときも、
「あ、なかなかかわいいな。」
とは思ったけれども、彼の方に足を踏み出すだけの勇気はなかった。もちろん、こんな場所に来てるんだから、彼の目的を疑うわけじゃなかったけど、なんとなく彼の目に俺が映っていないように見えたのだ。彼の視線は透明で希薄な感じで、まるで彼の目には、俺という人格ではなく、俺という肉体だけが映っているんじゃないか、と思えたのだ。それでも、とりあえず俺は、彼のことをそれとなく誘ってみる努力はしてみた。けれども、あんまり芳しい反応は得られなくて、
「ま、いいか。」
そんなに執着する気もなかったので、俺はあっさりあきらめることにした。そして、その場所に満ち満ちている、壁にもたれたり寝そべったりしている人達の、欲望に輝く目つきに辟易して、俺はその場所から離れた。どこへ行く、というあてもないまま階段を下りて、その近くにある自動販売機の横のところに行った。そこは、ちょうど徘徊する人達の視線から死角になっていて、小さな籐のいすが置いてあったけれども誰もいなかった。誰もいない、ということにかえってほっとして、俺は、
「ま、結局こんなもんだな。」
あっさりした気分で、そのいすに腰を降ろしてため息をついた。すると、その時、誰かがやってくる気配があって、
「あれ……。」
俺の目の前に現れたのは、さっきの彼だった。俺が急いで立ち上がると、彼は、
「……。」
ちょっとこわばったような表情でゆっくりと俺の前に立った。俺が探るような目つきで彼を見ると、彼は、ちら、と俺の顔を見てから目を伏せた。
『これ、って、好きにしてくれ、っていうことだよな。』
急に俺の心臓はドキドキし始めて、さっきまでの落ち着きはいきなりどこかへ行ってしまう。俺はゆっくりと手を伸ばして、彼の乳首を指でつまんだ。びくん、と、彼の体にけいれんが走り、
「あっ……。」
彼は切なげな声を上げた。それでも、彼は俺の手を避けようとはせず、かえって、一歩、俺の方に近寄ってきた。俺は、彼の胸から腹を指先でなぞりながら、手を下の方に移動していった。
「ううっ……。」
俺の手が到着する頃には、彼のバスタオルの下のものは、すでに上を向いて堅くなっていった。俺は、それをちょっと握ってから、彼のバスタオルの下から手を潜り込ませた。
「ああっ……。」
すぐに、俺の手は、熱く、堅い、彼のものを捕らえていた。
「あっ……。」
そして、俺は、もう一方の手で彼の肩を抱き寄せて、彼のうなじに口づけをした。彼は、もたれるように俺に抱きついてきて、両腕を俺の背中に回した。しばらくの間、俺は彼の下半身を責めながら、彼のうなじに唇を這わせていた。俺の胸に抱き締めた、彼の裸の胸の感触が気持ちよかった。

 それで、まさか、その場所でそれ以上のことをするわけにはいかないので、どこかに場所を移動しようと思ったけど、プライバシーを確保できるような場所を見つけるのはむつかしかったりする。個室を借りればいいんだろうけど、それはそれでなんだか気恥ずかしくて、こういう場面で、今さらどうしてそうなんだろう、と我ながら苦笑してしまう。
『このまま連れ出してもいいかな。』
俺は、ちら、と腕時計を見た。それにつられて、彼も、俺の腕時計をのぞき込むようにして、
「あ、いけない、こんな時間だ。」
俺から体を離して、ふと我に返った表情を見せた。
「用があるのか?」
俺が尋ねると、彼は、恥ずかしそうな顔になって、
「うん、ちょっと、待ち合わせ……。」
初めて俺の目を見た。
「そうか、残念だな。」
はぐらかされたような気分で、もう一度俺は、彼を抱き締めた。
「ごめんなさい、どうしても行かなきゃいけないので……。」
彼は、もう、すっかり現実に引き戻されたふうで、俺の腕から身をよじって逃れるようにした。
「また、会えるといいな。」
俺は、その時の自分に精一杯の言葉で彼に気持ちを伝えた。彼は、
「うん。」
微笑んでうなずいた後で、自分から俺に抱きつくと、軽く俺の唇にkissをした。それから、なんの未練も見せずに俺の体から離れて、
「どうもありがとう……。」
そのままロッカーの方へ歩いていった。取り残された俺は、しばらく彼の唇の感触に酔っていた。それからおもむろに、これからどうしたものか、と考えていたけど、結局俺も帰ることにした。
「電話番号でも教えときゃよかったかな……。」
結局、俺は、彼の名前も、彼につながるものも何もないまま、そのサウナを出た。そして、そのサウナに足を運ぶたびに、彼のことが心をかすめたけれども、そのまま、彼には会うこともなく、時間が経つにつれ、思い出だけが心の奥に沈み込んでいった。