海岸を離れて少しもどると、そこはもう、当たり前の街並みだった。そういえば、このへんに、ケーキ屋さんがあったような……。
「甘いものは好き?」
俺の言葉に、彼は、振り返ってちょっと微笑った。
「ケーキとか?」
もう一度俺が言うと、
「うん、すごく好き。」
彼は、今度は、素直にうなずいた。
「じゃ、近くにケーキ屋さんがあったはずだから、行ってみようか。」
俺は、記憶をたどりながら、彼と並んで道を歩いていった。確か、あの信号の次の建物が……。
「……。」
え?これって、改装工事中ってことか?
「なんか、工事中みたいだよ。」
俺がそう言っても、
「そうみたいだね。」
彼は、相変わらずにこにこしている。
「ごめん。」
彼においしいケーキを食べさせてやりたかったなあ。
「ううん、いいよ。……ちょっと残念だけど。」
「ケーキが食えなかったからか?」
俺は、期待を込めて、彼を振り返ったけれども、
「……。」
彼は、ちょっと微笑っただけで、俺が言わせたかったような台詞を口にはしなかった。
こんなふうにして、俺は、電車とバスのツアーという、有意義さには疑問の残る休日を彼と過ごした。
「そろそろ帰ろうか……。」
日曜診療の歯医者の予約(!)があるので、夕方には帰らなくちゃいけないという彼と、特に予定はない俺は、帰りの電車に乗っていた。俺が、乗り換えの駅で降りようとすると、彼は、
「僕も降りる。」
と一緒に電車を降りてしまった。
「せめて、改札口まで見送るよ。」
と彼が言うので、俺は、彼と並んで駅の階段を上がっていった。
「なんだか、帰れないなあ。」
俺は、改札口の手前で立ち止まって、彼の目を見た。彼も
「うん。」
俺と並んで、階段の手すりにもたれている。いつまでこうしててもしょうがないのはわかっているのに、どうしても別れられない。
「歯医者に間に合わないと困るからな。」
俺が言うと、彼は、
「うん……。」
ちょっと寂しそうな表情になる。
「じゃ、そろそろ帰るかな。」
なんだか、自分に言い聞かせてるようだな。
「すぐ、また会えるんだから……。」
俺が苦笑しながらそう言うと、彼は、
「そうだね。」
僕の目を見て、にっこりと微笑んだ。そして、
「どうもありがとう。楽しかった。」
まわりの人を気にしながら、俺の腕に軽く触れた。
「うん、それならいいけど……。」
俺は、反省の弁を口にする。
「ううん、本当に楽しかった。」
彼の言葉は嘘じゃないだろうけど、俺には返すべき言葉がない。
俺は、彼の肩に手を置いて、
「今夜、電話するよ。」
そう言った。
「うん、待ってる。」
俺は、憶えたばっかりの彼の電話番号を口ずさんでいる。
「じゃ……。」
俺は、そのまま、できるだけさりげなく改札口のほうへ歩いていった。けれども、どうしてもそのまま改札口を出てしまう気にはなれなくて、改札口を出る前に俺は、彼を振り返ってみる。
「……。」
さっきのまま、ホームからの階段を上がったところで、彼はちょっと微笑んでいた。
「……。」
俺も、にっこりして、そのまま改札口を通り抜ける。そして、改札口を出た俺は、もう一度、彼を振り返ってみる。
「……」
相変わらず彼は、微笑んでいて、俺の心には、その彼の顔が焼き付いてしまった。