邂逅 2

金曜日, 12月 19, 2003

 矢上くんのお相手をしたからかどうかはわからないけど、なんだかその日はまっすぐ自分の部屋に帰る気はしなくて、仕事が終わるとそういう類の飲み屋に足を向けていた。
「いらっしゃい。」
俺は、口だけで、『ども』とマスターにあいさつをすると、さっさとカウンターの隅っこの席に身体をすべり込ませた。
「おや、珍しい、仕事帰りか?」
俺の隣には、わりといい男が座っていて、俺に声をかけてきた。
「うん、今日は会社から直行だから。」
実は、俺は、独身なのをいいことにこの近辺からなんとか自転車圏内に部屋を借りてて、だから、普段は一回部屋に帰って着替えてから出かけてくるんだけど、今日は、会社から直帰だからスーツだったりして、彼はそれを指摘しているらしかった。
「待ち合わせか?」
彼のウインクに、本当は笑って見せなきゃいけないんだろうけど、残念ながら、俺にとってはあんまり笑えない冗談だったりする。そもそも、俺が笑えないだろうことはわかってるくせに。だから、俺は、困っちゃったな、っていう顔で、
「そっちこそ……。」
そう返すのが精一杯だったりした。そのくせ、心の中では、やっぱりこの人は客観的に見てもいい男だよな、なんて思ってたりして、我ながら困ったやつ。
『俺はまだ惚れてるんだからな。』
本当はそう言いたかったけど、まだ酔っぱらってないので黙っていた。もっとも、酔っぱらってる時にはしょっちゅう彼の肩にもたれながら言ってるみたいで、それはそれで、いったいどういうことなんだ、って、自分でも思うけど。でも、こんなに、彼への想いをアピールしてるのに、あの日からこっちは、彼の俺に対する態度は、昔の想い人に対する範疇を越えることが決してない、っていうのも、いったいどういうことなんだ、って思う。もちろん、相変わらず俺に対しては優しくしてくれるんだけど。そんな俺の寂しさには気づかないふりで、
「飲むか?」
彼は、自分のボトルをさりげなく俺のほうに押し出してくれたけど、俺は、それをあっさり無視することにした。今日は、もうちょっと爽やか系のものが飲みたい気分。
「ジンソーダ。」
マスターが、水色のビンを指さして首を傾げたので、俺は、深緑色のビンのほうに視線をやった。もちろん、俺の隣に座っている彼は、宙ぶらりんになってしまった自分の好意の持って行きどころに困って、ちょっと苦笑しながら、
「相変わらずかわいくないやつだ。」
俺のほおを軽くげんこつで叩いてみせた。
『どうせかわいくないよ。』
とは思ったけど、ここでそれを表明してみせるのもあまりに大人げないので、俺は、お返しに彼のほおをげんこつで撫でてみせた。彼のほおは暖かくて、サラリーマンのくせに無精ひげがちょっと俺のげんこつを刺激して、俺の心のどこかが、その刺激に反応している。
「あいつとは順調なのか?」
俺が頭に来るのは、こうやって彼が尋ねてくるのは、決して好奇心や愛想なんかじゃなくて、本当に俺がうまくやってるのかどうか心配してくれている、ということなんだ。一番心配されたくない相手から、本当に心配してもらってる俺って、いったい何なんだろう。
「順調だよ。」
でも、その途端に彼のことよりも携帯が心配になるんだから、俺も現金なやつ。ただ、ちょっとつらいのは、俺の携帯を呼び出すやつが遠距離で、そう頻繁には会えないということだったりする。でも、遠距離だったとしても、携帯メールでつながっているこいつがいるから、何とかやってられるのかな、という気もする。
「……。」
俺は、複雑な気分で、その透明な液体をのどに流し込んだ。
 その時、店の入り口が開いて、ちら、とそっちの方に視線を向けると、入ってきたのは見るからにフレッシュマンだった。着慣れない感じのスーツがなかなか初々しくていいな、と思いながら、何となく見覚えがある気がして、
「あーっ。」
俺は思わず声を上げてしまった。さすがにそれに続く『矢上くん!』という台詞は飲み込んだけど、ちょっと緊張気味に店に入ってきたのは、確かに、俺の後輩になった矢上くんに違いなかった。俺が声を上げたもんだから、矢上くんも俺に気づいたらしく、
「あ、先輩……!」
俺の顔を見てちょっとにっこりした。
「知り合い?」
マスターが俺に探るような視線を投げかけてくる。
「うん、ちょっと……。」
さらに、俺の隣の彼は、一つ席をずれて、俺との間に矢上くんを座らせるべく用意していたりする。ただ、この場合は、彼の優しさ、というよりは、俺と矢上くんとの関係に対する好奇心、というよりは、彼の目つきからすると、矢上くんに対する好奇心からの行動に違いない。つまりは、俺と矢上くんの会話を盗聴することで、矢上くんに関する情報を収集し、あわよくば反対側からちょっかいを出して、隙を見て俺のかわいい後輩の矢上くんを引っさらっていこうという魂胆に違いない。
『む……。』
そうはさせない、っていうふうに思ったのは、俺の嫉妬だったんだろうな、冷静に考えれば。昔の男とはいえ、彼が矢上くんをさらっていくことに対して、異議を申し立てられるような立場じゃないことはよくわかっていた、はず。なんたって、steadyがいる身なんだから、自分は。なのに、なんだか、よくわからない衝動に駆られるように、俺は、彼と矢上くんの会話に割り込むように言葉を、それこそ『矢継ぎ早』に繰り出した。もともと、俺って寡黙なほうじゃないとは思うけど、ここまで能弁だったとは、俺自身気がつかなかった。そして、そのフラストレーションのせいなのか、俺は急速にグラスを傾けて、もちろん、急速に酔っ払っていった。
「飲み過ぎじゃないのか?」
彼が、ちょっと心配そうな顔で俺のことを気遣ってくれる。けど、本当に酔っぱらってるらしく、俺は、その言葉も耳に入らない。そして、俺の頭の中はだんだん空白になっていった。