邂逅 3

金曜日, 12月 19, 2003

 まあ、こういうことは、ありがちなんだけど、気がついたら、俺は、朝日のベッドの中だった。そこはかろうじて自分の部屋らしく、それがせめてもの慰めだったけど、
「うん?」
どうやら、俺だけじゃないらしい。
「え?!」
もちろん、俺は、一瞬、自分の目を疑ってしまった。だって、俺の隣に寝てるのは、紛れもなく、俺の後輩の矢上くんなのだ。
「あ、先輩、目が覚めたんですか?」
なぜ、こいつが、俺のベッドに?
「だって、先輩が、絶対俺の部屋に来い、って……。」
え?俺、そんなこと言った?全然憶えてない。しかも、俺も矢上くんも、すくなくとも上半身は裸で、たぶん、俺は、下半身も裸かもしれない……。
「……。」
俺の困惑に気づいたかのように、矢上くんは、
「何にもなかったですよ、本当に。」
そう言って、くすくす笑った。
「先輩は、さっさと全部脱いじゃって、すぐ寝てしまったから。」
うう、そうだったんだろうか。……って、矢上くんがそう言うんだから、そうだったと信じるしかない。
「パジャマくらい着てくださいよ、って言ったんだけど、もうすでにいびきかいてて……。」
よくわからないけど、この頭痛とむかむかは、俺自身がそんな状態になっていても不思議じゃないことを証明してるんだろう。
「もちろん、先輩の裸を見られて、俺はうれしかったですけどね。」
矢上くんの目が、いたずらっぽく笑って、なんだか、それが、俺の下腹部に、ずきん、と響いた。
「風邪引くといけないと思ったんで、俺も服を脱いで、先輩に添い寝してたんですよ。」
どうやら、矢上くんは、パンツははいている気配。でも、布団の中で上半身に伝わってくる矢上くんの体温が、すごく気持ちよかったりする。
「先輩が腕枕してくれて、俺、それだけですごくうれしかったです。」
なるほど、この筋肉痛に似た感触はそのせいか。
「……。」
この気まずさをどうすればいいのかわからなくて、でも、生理的な欲求として水分を補給しなくっちゃ、って言うか、水をがぶ飲みしたい。んだけど、このままじゃまずいんで、とにかく、俺は、そこら辺にあったスウェットをそのままはいた。
「パンツはかないんですか?」
矢上くんは、なんだかうれしそうにそういうことを言う。その言い方が、みょうにスケベっぽくて……。俺は、矢上くんに対する認識を、おやじ方向に大幅に修正することにした。
「コーヒーでも飲むか?」
手っ取り早く、水道水をがぶ飲みしてから、俺は、矢上くんのためにドリッパーの準備をした。なんだか、迷惑かけちゃったみたいだし、インスタントで済ますのもどうかと思ったりしたのだ。
 まったく、きのう配属になったばっかりで、本当なら、ちょっと気になるかわいい後輩でしかないはずの矢上くんと、すでに『夜明けのコーヒー』っていうか、二日酔いのコーヒーを飲んでるなんて……。かなりばつが悪くて、俺は、自分の入れたコーヒーの香りに陶酔するふりをして、黙ってその液体をすすっていた。でも、矢上くんから見た目には、単なる二日酔いだったんだろうけど。
 ここは、とりあえず謝っておくべきだろうか、なんてぼんやりと考えている俺は、
「きのうは悪かったな……。」
こういう、それこそ二日酔いの台詞を吐いたんだけど、矢上くんは元気はつらつ、
「先輩、好きな人はいるんですか?」
いきなりそういう攻勢に出る。
「え……。」
そう言われて、携帯のメールの着信履歴をさりげなく気にしてしまう俺。あちゃー、俺が酔っ払ってる間に、何度か電話してくれたみたい。とにかく、後でメールか電話しなくっちゃ。それはともかく、俺が今、つきあってる、っていうことは、隠したってしょうがないから、
「うん、つきあってる。」
俺はそう言った。
「遠距離だけどな。」
でも、そんなふうに言い訳がましく付け加えてしまったのは、自分で思ってるより俺ってずるいやつなのかなあ。
「そうなんだ、遠距離か……。大変ですね。」
物理的な距離はともかく、データ処理的な距離に関して言えば、携帯とブロードバンドのおかげでほとんどないに等しいんだけど、他の何もいらないから、あいつのぬくもりだけが欲しい、っていう時もあるからなあ……。
「そういう矢上くんは?」
まさか、まだつき合ってたりはしないだろうけど……。
「俺は、だって、こっちに来たばっかりだから。」
そりゃそうだよな。でも、きのうの話じゃ、学生時代から飲み屋には出入りしてたんだろ?
「学生時代だって、つきあうってことはなかったです。」
ちょっとぶっきらぼうな感じで矢上くんは言う。
「なぜ?君なら、ずいぶん言い寄る人もいただろう?」
あ、やば。俺って、こんなこと言っちゃっていいんだろうか。
『俺、君にすごく興味があるんだけど。』
って言っちゃってるようなものかと。すると、矢上くんは、ちょっと意味深な微笑で俺の方を見てから、
「言い寄られたからって、つきあったりしないですよ。俺にだって、こういう人がいい、っていうのがありますから。」
ふうん。
「君の好きな人って?」
俺が、何気なくそう言うと、また、矢上くんの瞳がいたずらっぽく微笑って、俺って、ほんと、連続して軽はずみな台詞を口にしてるよな。
「先輩、俺の『理想』を知りたいんですか?」
う、これって、なんか、俺が責められてる状態?
「だ、だって、矢上くんの教育係だから、俺は……。」
我ながらしどろもどろだったりする。
「ふふっ……。」
でも、矢上くんは、ちょっと笑っただけで、口をつぐんでしまった。
「……。」
ひょっとして、俺、矢上くんに、かなりあしらわれてるんだろうか……。状況の打開を迫られた俺は、食い物で誤魔化すという安易な手法に走ることにする。とりあえず、パンでも焼いて、もう一杯コーヒーをいれよう。
「トーストでいいか?」
背中に矢上くんの視線を意識しながら、俺は、パンをトースターに投げ入れて、新しい豆をドリッパーに放り込んだ。そっと振り返ってみると、矢上くんは、俺が買ったまま読みもせずに積み重ねてある本の背表紙を興味深げに眺めていたりする。……矢上くん、って、俺が思ってるよりも、『大人』なのかもしれない。