酒酔い 2

火曜日, 3月 31, 1981

 兄貴があきれたような顔で僕を見ている。
「だいじょうぶなのか?」
いつもいつも説教されてやりこめられているのはくやしいから、
「ひょっとしたら、僕、アル中になっちゃったのかなあ。」
と言ってやる。少しはあわててくれるだろうと期待するが、すぐその考えが甘いことを思い知らされる。
「だから、飲みすぎるな、っていつも言ってるじゃないか。」
そんなことしか言ってくれないんなら、僕にだって考えがあるんだから、と僕は本物のアル中になる決心を秘かに固める。
「知ちゃんは、若いのに、よく飲むわねえ。」
何杯めかのオン・ザ・ロックを作ってくれながら、マスターまでが嫌みともとれることを言う。
「放っといてくれ。」
なんて言うのは敗北を認めるようなものだから、
「いいんだ、僕なんかもう若くないんだから。」
とすねてみせる。
「あら、知ちゃんは十分に若いわよ。」
マスターは、グラスを僕の前に置いてくれながら言う。
「僕なんかオジンだもん。」
僕はグラスに手を伸ばしながら言う。
「二十歳で何がオジンよ。」
マスターは煙草に火をつけながら言う。僕は、兄貴の非難がましい視線を感じながら、グラスを口元へ運ぶ。
「若いってのは十七、八歳の高校生ぐらいの子のことを言うの。」
何にも知らないんだから、とかなんとかつぶやいて、僕は兄貴の視線をものともせず、のどを刺激する液体をすする。年齢の話題なら、いつでも勝てるんだけどなあ、と思いながら、
「まあ、憎らしいガキね。」
とオジンのマスターの捨て台詞を聞く。兄貴は自分には関係のない話題のような顔をして、煙草に火をつけてくゆらせている。
「知は言うことが皮肉だからなあ。」
と、自分もオジンのくせに他人事のように兄貴は言う。
 マスターとの会話で気をよくして、僕は、酔っているのかなあ、と思いながら、灰皿の上に置かれた兄貴の吸いかけの煙草をつまみ上げて、少し吸ってみる。むせないように用心して、ゆっくりといがらっぽい煙を体の中に吸い込むと、胃のあたりにあった酔いの感覚が、全身に広がっていくような感じがする。ふうっ、と煙を吐き出しながら、こんなに酔ったのは久しぶりなことに気づく。
「吸えもしないくせに、吸ったりするからだ。」
煙が目にしみて僕が涙を拭いていると、兄貴は少しの同情もしてくれずにそんなことを言って、僕から煙草を取り上げて一口吸い、灰皿に押しつけて消す。だんだん酔いが回ってきて、言葉が怪しくなってきているのが自分でもわかる。
「酔っちゃったかなあ……。」
煙草のニコチンには覚醒作用があったはずなんだけどなあ、と思いながら、僕はあくびをかみ殺し、頭を兄貴の肩にそっともたせかけてみる。
「眠いのか?」
声を出すのがめんどうで、僕はうなずくだけにする。
「だから飲みすぎるなって言ったのに……。」
自分だって、せっせと僕に飲ませていたくせに、そんな言い方はないだろう、と僕は口の中でもごもごつぶやくが、兄貴は聞き取ろうとする気がないらしい。
 眠り込んでしまうほどには酔っていなかったけど、時々兄貴が肩を抱いて、
「だいじょうぶか?」
なんて言ってくれたりするから、僕の頭はそのまま兄貴の肩の上にもたせておくことにしよう。それに、眠ったふりをしていれば、
「あら、知ちゃん、いいわねえ。」
なんていうマスターの言葉にも返事をしなくていいから好都合だ。
「知は甘えん坊だからなあ。」
まんざらでもないくせに、兄貴はそんなことを言ってマスターに苦笑する。
「俺は、いつもお守り役なんだ。」
どうせ僕は体が大きいだけのガキだよ、
 本当に眠り込んでしまいそうになったので、僕はあわてて頭を起こして眠気を追い払う。そして、ほとんど氷が溶けてしまって、水割りの様相を呈しているグラスの中身を飲みほすと、ちらりと兄貴を見る。
「眠いよ。」
悠々と水割りを飲んでいた兄貴は、僕の言葉でやっと僕が本当に酔っていることを理解したらしい。腕時計を見て、
「帰るか。」
と言う、顔見知りの友人なんかにあいさつして道路へ出ると、本当に足がふらついている。
「酔っちゃった……。」
僕がちょっとふらつくと、兄貴のがっしりした逞しい腕が支えてくれる。支えてもらうと楽なもんだから、つい体重をその腕に預けてしまうんだけど、そうするとさすがの兄貴も重いらしくて、
「こら、少しは自分で歩け。」
とどなられてしまう。でも、手を離したら僕が道路に座り込んでしまうのを経験で知っているから、兄貴は仕方なしに僕の体を引きずって歩く。
「いつも悪いね、兄貴。」
兄貴と飲んでいるときは安心して、たいてい酔っぱらってしまう。
「だから飲みすぎるな、って言ったろう、この酔っぱらいが……。」
兄貴は大して怒りもせずに、笑いながらまた同じようなことを言う。
「だいじょうぶか?」
兄貴に支えてもらってるんだから、だいじょうぶじゃないなんていうことはあり得ない。
 今日のはあんまりいい酔い方じゃないな、とあんまり兄貴に負担がかからない程度にもたれて歩きながら、僕は思う。第一、こんなことを考えるだけの理性が残っているうちは、酔っているなんて言えないのかもしれない。心の中に妙に醒めた部分があって、めいっぱい皮肉に僕に話しかけてくる。
「いいな、兄貴に寄りかかっちゃって……。」
そして続けて言う。
「でも、そうやって酔ったふりしても、酔ったふりをしてる体だけしか兄貴に支えてもらえないみたいだな。」
そんなこと言われなくてもわかってるよ。
 兄貴の部屋のベッドに倒れ込むと、部屋がゆっくり回転し始めるような錯覚に捕らわれる。
「服も脱がないのか?」
ベッドの横で自分は裸になりながら、兄貴が言う。どうせそのうち脱がされるんだし、とは思うけれど、まさかそんなふうにも言えないから、
「めんどうだから、このままでいい。」
と、枕に顔を埋めてしまう。
「仕方ないなあ。」
と兄貴は言ったようなのだが、酔っているから兄貴の言った言葉の意味がわかる前に、僕の横には兄貴がもうもぐり込んできている。
「馬鹿だなあ、こんなに飲んで。毛布ぐらいかけないと、風邪引くぞ。」
兄貴のかけてくれる毛布の重さを、服を隔てて感じながら、
「僕は馬鹿だから、風邪なんか引かないよ。」
と憎まれ口をたたこうとして枕から顔を上げると、いきなり兄貴に口を塞がれてしまって、何も言えなくなってしまう。
 兄貴の唇はぶ厚いと思う。唇だけでなく、僕の口の中へ侵入しているこの舌も、どういうわけかボリュームがあると思えてしまう。一度、本当はどのくらいの太さなのか確かめてみたいと思っているのだが、普通の時には舌を出して見せてくれたりしないから、なかなか確かめる機会がない。
「だいじょうぶか?」
いったいどうしたのかと思ったら、そんなことを言うので、僕はちょっといらいらしてしまう。そんなふうに言うぐらいなら、最初から大人しく寝てしまえばいいと思うが、兄貴が心配するぐらいだから、今日の僕はよっぽど酔っているのかもしれない。