酒酔草 -健太郎 1

木曜日, 1月 7, 1999

 いつものように、なんとなくの気分で、僕は、トリスタンのドアを開けた。すると、いつものように、あら、という顔をして、マスターが、
「いらっしゃい。」
と、言ってくれた。店の中には見なれたカウンターがあって、手前の席に大介の顔が見える。そういえばしばらく会ってないな、と思って声をかけようとしたら、
「奥が空いてるわよ。」
と、マスターに阻止されてしまった。そんなにきっぱりと言わなくても、と思いながら、僕は、カウンターに沿って店の奥に入り込んでいった。後ろを通り抜けるときに観察すると、どうやら大介は、隣に座ってるちょっと良さそうなのと話し込んでいるらしかった。
『なるほど、声をかけちゃ邪魔なわけか。』
さっきのマスターの口調に納得しながら、空いている席にたどりついた。すると、
「やあ。」
隣の席に座っている人が、手に持ったグラスを透かすようにして、僕にあいさつをしてくれた。
「あ、こ、こんにちは。」
どうして?って、彼もここのお客さんだから、僕の隣に座ってたって不思議はないんだけど。でも、こんなに急にあいさつされても、心の準備ができていないからどきどきしてしまう。
「どうしたんだよ。俺の隣じゃ嫌か?」
それなのに、彼は、そんなことを言って、僕のことをからかう。僕がこんなにあせってるのは、いったい誰のせいだと思ってるんだろう。
「そ、そんなことないよ。」
ひょっとして、赤面してしまっているかもしれない。
「あ、僕、ジンソーダ。」
僕は、ジンソーダのちょっと苦みのある液体を一口すすって、気持ちを落ち着けようとした。
「いつも、俺のことすっぽかしてるから、俺が嫌なのかと思ってたよ。」
それなのに、彼は、僕のせっかくの努力を無視するような台詞を口にする。
「えー、どうして?」
すっぽかす、って、それ以前の問題として、すっぽかすような約束をしてもらったことがないはずなんだけど。
「この前だって、俺の誘いを断って、帰っちゃったじゃないか。」
そ、それは……。
「あれは、約束があって、どうしようもなかったんだ。」
僕だって、本当に残念だったんだから。せっかく誘ってもらえたのに……。
「じゃあ、今日は、とことんつき合うか?」
え?僕は、思わず、ジンソーダにむせてしまいそうになる。
「とことん、って?」
一応、そんなことを尋ねてみたけど、自分の鼓動の音が彼に聞こえちゃうんじゃないかと心配になるくらい、僕の胸はドキドキしていた。
「すぐそうやって、純情なふりをするんだからなあ……。」
彼は、僕の方に振り返ると、げんこつで僕のほおを突っついて少し微笑った。そんなことされて、僕は、いったいどうすればいいのかわからなくて、
「なんだよー。」
ちょっと、彼の方を向いてふくれっ面をしてみせる。すると、彼は、いきなり僕の肩を抱くようにして、
「本当に帰さないぞ。」
耳元でささやいた。え?なになに?
「……。」
僕は、知らんぷりをして、正面を向いたけど、あー、耳まで赤くなっちゃう。すると、彼は、僕の手をぎゅっと握って、にやっ、と笑った。
「あんた達、何やってるのよ。」
大介達と話してたマスターが、こっちへやってきて、ちょっとあきれた顔で僕と彼のことを見てる。
「内緒話……。」
彼が、そう言ってとぼけてるけど、僕はいったいどんな顔をすればいいのかわからない。赤くなってるのは、酔ってるせいだと、誰も思ってくれないよなあ……。
「まあ、予約済み、っていうことかしら。」
彼が僕の手を握っているのをめざとく見つけたマスターが、ちょっといたずらっぽく微笑いながら彼に言う。
「そうだよ。逃げられないように、手をつないでいるんだ。」
あまりにも素直な彼の答えに、
「あ、そう。」
マスターも、馬鹿らしくて相手にしてられないと思ったらしく、他のお客さんの方へ行ってしまった。あー、僕、本当に酔っぱらってるかもしれない。
「僕、逃げたりしないよ。」
でも、彼は、僕の手を握ったまま、
「手をつないでいたいんだ。」
僕の耳元でささやいた。彼の息が僕の耳たぶにかかり、それだけで、僕は、全身が鳥肌だってしまった。きっと、これって、酔っぱらってるんじゃなくて、発情してるんだな。