酒酔草 -健太郎 7

木曜日, 1月 7, 1999

 ちょっと早起きして、まだ休日の朝の雰囲気が残っている街の中を彼の部屋まで行くと、思った通り、完全に寝ぼけた顔で彼が出迎えてくれた。
「ごめん、まだ、寝てたんだ……。」
『昼過ぎ、って言ってなかったっけ』なんていう彼のつぶやきは無視して、僕は、ちょっと元気だった。彼は、パジャマのままで、申し訳なさそうに、
「待ってろ、今、コーヒーでも入れるから。」
そう言って、僕をリビングのロッキングチェアに押し込もうとしたけど、
「いいよ……。今日は、家事手伝いに来たんだから。」
彼は、僕の言葉がしばらく理解できないみたいだった。
「うん……?」
だから、僕の相手はいいから、
「もっと眠ってていいよ。」
僕は、彼をベッドに追いやりながら、そう言った。
「えー?」
彼は、まだ、あんまり理解できてないふうで、しぶってたけど、
「ほら、さっさと、ベッドにもどって。」
僕が背中を押すと、
「でも……なんだか悪いなあ。」
そう言いながら、そのくせ、充分ベッドに未練がある様子。
「なんなら、子守歌でも歌ってあげるけど……。」
僕が言うと、
「そこまでは、いいよ……。じゃ、なんだかわからないけど、俺はもうちょっと寝てるからな。」
そう言って、素直にベッドに潜り込んだ。
「適当にやってていい?」
僕がそう尋ねると、
「うん、なんでも好きにしていいぞ……。」
と答えた彼の声は、もう半分眠っていた。
「いい天気でよかったなあ……。」
とりあえず、僕は、洗濯機に彼の下着だとかタオルなんかを、洗剤と一緒に放り込んで、スイッチを入れた。たくさん放り込んだので、大丈夫かな、と心配だったけど、洗濯機が調子よく回り始めたのでほっとした。しばらく泡の中で洗濯物がまわっているのをながめながら、僕は、自分の心まで洗っている気分になった。じゃ、これで、洗濯はなんとかなりそうだから、次は買い物だな。
「ちょっと買い物に行ってくるね。」
僕は、ベッドの彼に声をかけたけれども、すでに、彼は寝息をたてていて、僕に返事をするどころじゃなかった。
「鍵をかけなくても大丈夫かなあ……。」
ちょっと心配だったけど、僕は、そのまま部屋を出て、近くのスーパーまで買い物に行った。
 学生の頃から自炊してるけど、あの頃は、それなりに貧乏だったので、本当に安いものしか買わなかったなあ。僕は、変な感慨に耽りながら、そこら辺の冷蔵ケースや棚から、かなり適当に欲しいものを買い物かごに放り込んでいた。こんな買い方じゃなくて、できるだけ安いものを買ってたもんなあ。今は、こっちのほうがうまそうかな、とかいう観点で、かごに放り込んでたりする。
「何にするかなあ。」
いろんなものをかごに放り込みながら何を作るか考えてる、ってとこがすごいけど、ま、こんなもんだよな。でも、結局、シンプルなパスタとトマト味の肉炒めに海藻サラダみたいな献立になっちゃうのは、やっぱり面倒くさがりだからかな。一人でにやにやしながら、スーパーの袋に買ったものを詰め込んで彼の部屋に帰ってくると、
「ただいま。」
当然、彼は、まだ熟睡してて、改めて見る寝顔がかわいかったりした。洗濯もできあがってたので、ばさばさと洗濯物をベランダに干したんだけど、当然、彼の下着とかもあって、それだけでどきどきしちゃったりして、なんだか、僕って、こんなに純情だったのかなあ、とか不思議な気がした。それとも、単なるスケベなのかなあ。
 ほいほいのほい、っていう感じで、食い物をでっち上げると、昼飯にはちょうどいいくらいの時間だった。
「うーん、何かあるといいんだけど……。」
ごそごそと戸棚の中を探ったら、ハーブティーがあって、なんだか、それだけで彼らしい感じがして、僕はちょっと笑ってしまった。もちろん、さっそく、それをポットで入れてみると、日向色のお茶ができた。
「ほーら、できた、できた。」
食卓の準備がすっかり整ったので、僕は、ベッドルームで枕を抱えている彼を起こしに行った。
「飯、できたよ。」
そう言っても起きないので、ちょっといたずら心を起こして、僕は、そっと、彼にキスをしようとした、ところを、いきなり彼に抱き締められてしまった。
「あっ……。」
ひょっとして、とっくに目が覚めてたんだな。
「う……む。」
大介よりも、もっと、迫力のあるキスに押し倒されそうになる。頭の中で、そんな危ない比較をしながら、僕は、なんとか彼の腕の中から逃れた。
「……早く食べないと、冷めちゃうよ。」
でも、本当は、彼のキスに押し倒されてしまいたかった。
 パジャマのまま食卓に着いた彼は、いつになく、のんびりした感じだった。休日感覚でのんびりしてくれているんだったらいいんだけど。
「へえ、健太郎、って、ちゃんと主婦もできるんだ。」
もちろん、彼のそんな言いぐさには、ちょっと相当苦笑してしまう。
「洗濯までしてもらって、悪かったな。」
海藻サラダをほおばる彼が、僕にはまぶしかった。考えてみれば、パジャマ姿の彼をまじまじと見るなんて、これが初めてだなあ。
「何見てるんだよ。」
彼が、ちょっといたずらっぽい目つきで、僕をにらんでいる。
「べ、別に……。」
どうして、いまさら赤面しちゃったりするんだろう。
「うーん……。」
大きくのびをして、彼は、ハーブティーを飲んだ。
「あー、うまかった。」
今度は、彼が、僕をじろじろ見ている。誰か他の人の視線なんか、全然気にもとめないことが多いのに、彼の視線に対して僕のシールドはまったく無力だったりする。
「……。」
僕は、気がつかないふりをして、後かたづけをし始めた。食器なんかを洗いながら、でも、きっと、彼には、僕が意識していることがわかっちゃってるだろうなあ。いったい、僕は、彼の瞳の中でどういうふうに映っているだろう……。どっちにしても、このままだと、視線だけで彼に犯されちゃうかもしれないな。もちろん、僕は、そうされたいといつだって思ってるけど。
 片づけ終わった僕は、彼を振り返ってちょっと微笑ってから、ちら、と時計を見るポーズをとった。さて、そろそろ帰ろう。
「え?もう帰っちゃうのか?」
彼は、びっくりしたように言う。確かに……。
「うん、でも、僕も自分の部屋のかたづけとかしなくちゃ。」
僕は、ため息のかわりにそう言った。
『それに、疲れてる人のところに、これ以上は居られないよ。』
と、それは、心の中でつぶやくだけにした。
「そ、そうか……。」
彼は、ちょっと面食らったみたいだったけど、それ以上何も言わなかった。
「なんだか、帰したくないなあ。」
僕は、彼の言葉にちょっと微笑ってしまう。まるで、僕がいつもつぶやいている台詞みたいだ。
「そう言ってくれるだけでうれしいよ。」
自分の決心が鈍らないうちに、僕は、さっさと席を立った。
「本当に帰っちゃうのか?」
彼の声が、あんまり疑わしいので、僕は、思わずちょっと笑ってしまった。
「うん。」
僕が、彼を振り返ってみると、彼がいつになく寂しそうに見えたので、それだけで僕はうれしくなってしまう]。
「……今日はありがとう。」
彼は、僕に近寄ってくると、僕を、ぎゅうっ、と抱き締めた。
「……。」
僕には言葉がなくて、彼の胸に顔を埋めてちょっとだけ甘えてみせた。でも、あんまり彼の腕の中に抱き締められてると、本当に帰れなくなっちゃう。それで、僕は、できるだけ未練に見えないように彼の腕の中から脱け出した。
「じゃ、また。」
僕は、さっさと玄関から外に出て、彼に手を振ると、振り返らないようにしてエレベータに歩いて行った。エレベータのところから、ちら、と彼の部屋を見ると、彼がまだ、玄関を開けたまま僕を見送っていて、なんだか、すごく照れくさかった。
「電話するよ……。」
僕がエレベータに乗り込もうとすると、彼の声が響いてきた。僕は、彼を振り返って、ちょっとだけ手を振ると、そのままエレベータに乗り込んで一階のボタンを押した。僕が微笑っていたのが、彼にはわかっただろうか……。

(Kに……)