酒酔草 -大介 10

水曜日, 2月 2, 2000

 久しぶりに会った彼の腕枕は、やっぱり、健太郎の腕枕よりも居心地が良かった。そして、その事実は、僕の心を暖かいもので満たしてはくれた。
『よかった、健太郎よりも居心地が良くて。』
彼の腕枕の中で、いったい、僕は、何に安心していたんだろう……。
「……。」
その日の夕方、待ち合わせの場所で僕に会ってから、こうやって、僕に腕枕をしてくれるまでの間、彼は僕に何も尋ねなかった。あの日僕が健太郎と部屋にいて電話に出なかったことも、今日の僕が何となくぎくしゃくしていることも、彼はきっとちゃんと気がついていて、ひょっとしたらそれに対する正解さえ用意しているのに違いないけど、それでも僕に何も尋ねなかった。
「もうそろそろ寝ようか……。」
僕の方に首を傾けて、にこっ、っとした彼の顔を見て、
「この間のことだけど……。」
僕は、黙っていられなくなって、その話題を持ち出してしまった。
「この間、って……?」
でも、彼は、いつものようにポーカーフェースで、知らんぷりをする。
「僕が電話に出なかった日。」
まったく、ちゃんとわかってるくせに、そうやって僕に言わせるんだから。
「ああ、あの時か……。どうかしたのか?」
そう言われるとどう言えばいいのかわからなくなってしまう。まさか、本当に彼は、全然疑ってないんだろうか……?
「変だとは思ってない?」
なんだか、これじゃ、白状してるようなもんだなあ。僕が、すごくばつの悪い思いをして彼の目を上目づかいに見ると、
「全然。」
彼は、あっさりとそう言った。そして、にっこり笑うと、
「だって、大介が何にもなかった、って言うんだから、何かあったわけがないじゃないか。」
そう続けた。
「だけど……。」
そして、僕の言葉をさえぎるように、
「こんなこと言っても、大介に信じちゃもらえないかもしれないけど、俺は、大介が俺のことを好きでいてくれるだけでうれしいんだ。それだけで、十分すぎるほどだと思ってるんだ。……だから、俺には、大介の言葉がすべてなんだ。」
彼は、僕の目をのぞき込むようにして、もう一度確かめるように、
「な……?」
と言って、それ以上僕に変なことを口走らせないように、例のとびきり上手なkissで、その話題を封じ込んでしまったのだ。例によって、僕は、涙が出そうになっちゃったけど、彼は、それがあくびのせいだと思ってくれたかなあ。そうして僕は、彼の腕枕に抱き寄せられて、ゆっくりと眠りの淵に引き込まれていった。

 次の朝、目覚めると、僕は、相変わらず彼の腕枕の中で、ついでに、目の前には彼の笑顔があった。
「目が覚めたか?」
静かな彼の声からすると、どうやら、かなり前から彼は僕の寝顔を見つめていたらしい。僕は、ちょっと照れくさくなって、彼の腕枕から抜け出すと、
「ごめん、ずっと腕枕してもらってたんだね。……腕が痛くない?」
そんなことを言って誤魔化そうとした。
「だいじょうぶさ、大介は抱き心地がいいから……。」
そう言って、彼は、ちょっと強引に、僕の頭をまた腕の中に抱き寄せてしまう。きっと僕は、赤面してしまっている。このまま、ずっと、彼の腕枕の中でまどろんでいたい、と思わないわけじゃなかったけど、
「なんだ、もうこんな時間かあ。」
僕は、彼の腕枕の中で、ベッドサイドのテーブルに置かれた時計に腕を伸ばした。せっかくの休日だから、僕は、彼と街を歩いてみたかった。夕方や夜に彼と街を歩くことはあっても、朝から彼とどこかへ行くことができるなんて、これまでも、そして、これからも、きっと滅多にないのだろう。だから、僕は、彼の腕枕からも、ベッドからも抜け出して、ホテルの部屋の窓のカーテンを開けた。
「ほら、すごくいい天気だよ。」
ベッドの中の彼は、両手を頭の後ろで組んで、朝日の中の僕をみながら微笑んでいた。その笑顔は、改めて僕の心を彼に釘付けにするのに十分だった。

 たっぷりあるように思えた休日も、気がつけば、もう、彼が空港へ移動するべき時間になっている。
「空港まで見送りに行くよ。」
僕がそう言うと、
「わざわざ空港までこなくてもいいよ……。」
彼は、口ではそう言いながら、でも、珍しく露骨にうれしそうな顔をしてみせた。
「……。」
もちろん、僕は、彼のそんな言葉は無視して、空港へ移動する電車に彼といっしょに乗り込んだ。見送りに行ったからって、引き延ばせる時間は、たかがしれてるのはわかっているけれども。
『それなのに、すでに、秒読みは始まっているんだ。』
そんな僕の焦りにも似た気持ちがわかるから、移動中は、彼も口数が少なくなっていたのに違いない。時間を共有しているだけで満足するべきなのなら、これ以上僕に何ができるだろう。
 空港に到着してセキュリティゲートの手前で立ち止まると、彼は、軽く僕の肩をたたいた。
「それじゃ。」
彼の手に肩をたたかれた瞬間、僕は、きのうの夜の、彼の唇の感触も、彼の腕枕の感触も、生々しいまでにすべて思い起こしていた。
「うん……。」
僕がうなずいた意味を彼はわかってくれただろうか?
「また、電話するよ。」
そう言うと、彼は、いつものように、振り返りもせず、セキュリティゲートの向こう側へすたすたと歩いて行ってしまった。そして、僕も、いつものように、ほんのちょっとだけ涙をこらえると、コンコース内を歩き始めた。
「あれ……。」
ポケットの中の携帯電話が振動して、僕に呼び出されていることを伝えている。
「もしもし?」
おおあわてで携帯電話を耳に当てる。
「気をつけて帰れよ。」
彼の声が、電波の向こうから響いてきた。
「うん……。」
せっかく涙をこらえたのに、また泣きそうになってしまう。
「じゃ、な。」
僕は、コンコースの雑踏の中で立ち止まり、携帯電話を握り締めて、それでもちゃんと微笑んでいた。彼と知り合えて良かった、と、決して強がりではなくそう思いながら……。

(Kに……)