次の日の朝、目が覚めた時も、相変わらず僕は彼の腕の中だった。そして、僕は、彼の腕枕の中で目覚めたということになんの違和感も感じてなくて、違和感を感じていないことさえ不思議だと思わなかった。初めてなのに、初めてじゃないような感触を、彼は僕に感じさせてくれている。
「先にシャワーを浴びてもいいか?」
彼が、バスルームへ行ってしまうと、僕は、枕に顔を埋めて彼の匂いに酔っていた。もちろん、そんなところを彼に見つかるとあまりに恥ずかしいから、彼がバスルームから出てくる気配がすると、あわてて枕から顔を上げたけど。
「そろそろ起きろよ。」
バスタオルを腰に巻いてバスルームから出てきた彼は、もう、サラリーマンの表情を身につけていた。
「今日は、もう、帰っちゃうんですよね。」
僕がそう尋ねると、彼は、昼頃の飛行機で帰ると僕に告げた。
「じゃ、せめて、空港まで送ります。」
この台詞を、僕は、これまで何度口にしただろう。どうせ一度だけ、と思っていた人のはずなのに、気がつけば、とりこになっている、なんて、本当に僕って馬鹿だなあ、と、いつも思うのに……。でも、彼は、今までの人とは違うかもしれない。懐かしさにも似た、穏やかな感触がある人だから……。それとも、僕が、そう信じたいだけなんだろうか。沈黙がちにたどり着いた空港の中を彼と歩きながら、僕は、
「次は、いつ頃来る?」
そう尋ねずにはいられなかった。空港のチェックインカウンターの前で、彼は、ちょっと僕の目をのぞき込んでから、勝ち誇ったように、にやっ、と笑うと、
「来週。」
と言った。
「え?」
僕が驚くと、彼は、すごくうれしそうな顔になって、
「今月は、毎週出張だから、毎週会えるよ。」
と言った。もう、当分会えないと思っていた僕は、思いがけない彼の言葉に、沈み込んでいた自分の心がリズムを取り戻すのを感じていた。
「本当?」
僕は、自分がにやけた顔になってしまっているのがわかったけれど、素直にうれしそうな顔をしていることにした。
「ああ、大介が会ってくれるんなら。」
せっかく僕が素直にしているのに、彼は、そんなことを言う。ちょっとむきになって、僕は、
「会うに決まってるだろ。」
そう言ったけど、彼はそんな僕には気づかないふりで、
「じゃ、ついでに晩飯でもつき合ってくれるとうれしいんだけどな。」
軽く流されてしまう。僕が、思わず、
「晩飯だけ?」
と言うと、彼は、また、『本当に、お約束通りだなあ』という笑い方をして、
「大介がつき合ってくれるんなら、俺はどこへでも行くよ。」
と言った。僕の頭の中では、もう、来週の彼の笑顔への秒読みが始まっている。
「絶対時間を空けとくから、ちゃんと連絡してくださいよ。」
僕の耳元には、きのう行った店のマスターの、
『そんなこと言って、連絡してくれたことがないんだから……。』
という言葉がかすかに響いていた。
「今晩電話するよ。」
そう言って、彼は、まるで僕の考えを見透かしたように微笑ってみせた。
「そろそろ行かなくちゃ。」
彼は、『搭乗案内中』の表示を確認すると、
「じゃ、またな。」
そのまま、振り返りもせずにセキュリティゲートを通り抜けて行ってしまった。彼の後ろ姿を黙って見送りながら、僕は、なんだか、泣いちゃいそうだったので、口元をぎゅっと結んで、たぶん怒っているみたいに見えたかもしれない。もちろん、僕は、そのまま展望台に行って、たぶん彼の乗っているだろう飛行機が、空の向こうの小さな点になって見えなくなってしまうまで見送っていた。
その夜、電話を受けた僕の耳に、彼の声が響く。
「ごめん。遠距離で妻子ありだけど、きっと君に寂しい思いはさせないから、俺とつき合ってくれないか。」
それはまるで、彼が彼自身に言い聞かせているようで、そんなこと嘘だってわかってたけど、嘘をついてくれる彼の気持ちがうれしかったから、僕は、そのままうなずいていた。少なくとも今月は、毎週会えるんだから……。それから先のことは、またそのときになって考えよう。
「きのう、トリスタンで、大介が隣に座った時から、すごくあがっちゃってたんだ。」
まさか、そんなふうには見えなかったから、そう言われて、僕は、ちょっとだけ安心した。少なくとも、僕の片想いじゃないんだ。もっとも、僕は、トリスタンで隣に座った時から、もう彼のことが好きになってしまっていたんだ、あがっちゃったりするよりも前に。
「俺は、おまえと寝ながら、何度も、『やばいな』と思ったんだ。おまえといるだけでどんどん好きになっちゃいそう、って。」
僕の体は、まだ、彼の感触を憶えている。そして、ベッドの中でkissをされるたびに、僕の心には彼への想いが刻み込まれていったんだ。
「……。」
彼と共有している思い出が、まだ、ほんの一晩分でしかないことがもどかしい。いったい、僕は、彼と幾晩ベッドを共にすれば、こんなことを思っていらつくことがなくなるのだろう。