酒酔草 -大介 6

水曜日, 2月 2, 2000

 気がつけば、彼と出会ってから、もう三ヶ月だった。まだ三ヶ月、なのかもしれないけど。ふっと、本当に自分は『彼のこと』を好きなのかなあ、と思ってしまうことがある。恋に恋する乙女なんだ、きっと。誰かを好きになっている自分が好きで、別れられないんだ。……でも、誰かじゃなくて、彼しか思い浮かばない。なんだか、彼とつきあい始めてから、寂しさに対する耐性が、すごく低くなってしまったような気がする。だから、彼が出ないとわかっていて彼の携帯電話を呼び出して、留守番電話の声を聞いて気持ちを紛らせたりするんだろう。馬鹿な僕。
 今日は、ちょっと早めに会社を出て、でも、何ということもなく一人の部屋に帰り着いていた。
『泳ぎに行ってもいいかな……。』
まだ、時間的には余裕でプールに行ける時間だった。スーツを脱いで、ネクタイをはずしながら、ぼんやりと今夜の予定を考えていると、携帯電話が鳴った。
『彼からだ……!』
僕の胸の奥のどこかが、ちょっとだけ熱くなる。
「もしもし……?」
「やあ、もう仕事は終わった?」
彼だった。
「うん、ちょうど、今、帰ってきたところ。……よくわかったね。」
ひょっとしたら、僕の部屋の窓に明かりがつくのを見てたのかな。って、そんなことがあるはずないけど。
「今日は、早いんだな。まだ、会社かと思ったよ。」
「まだ仕事?」
「うーん、そうだな。」
「忙しい?」
「ははは、いつものとおり、忙しいと言えば忙しいし、暇と言えば暇、かな。」
うーん、彼のこの表現がいつもよくわからない。
「だから、それ、って、忙しいっていうこと?」
ちょっといらだってしまう。
「ま、やることはいくらでもあるんだけど、あんまりやる気がない、っていうのが正しいところかな。」
はあ、ま、結局、忙しい、っていうことなんだろう、と結論づけて、それ以上この話題には触れないことにする。
 いっぱい話してもらいたいのに、何を話してもらいたいのか自分でもよくわからない。だから、つい、僕は黙り込んでしまう。きっと、そんな僕は、彼にとってやっかいな相手なんだろうな。そろそろ会話を切り上げるべきかな、と思って、僕は、
「次は、いつ頃会えそう?」
ふと、そんなことを尋ねてみた。あんまり深く考えずに質問したんだけど、彼は、ちょっとため息にも似た声を出してから、
「そうだなあ、一ヶ月くらいは無理だと思うなあ。」
そう言った。そうか、一ヶ月か。しょうがないよなあ……。僕の胸の奥に、なんだか重いものが広がっていくのがわかる。
「そうなんだ。」
「……。」
彼もしばらく沈黙している。
「じゃ、これから、プールにでも行って来るよ。」
僕は、できるだけ明るい声で言った。
「ああ、……また電話するよ。」
「うん、ありがとう。」
彼が電話を切った後も、僕は、しばらくそのまま彼の声の余韻を聞いていた。
『もうしばらく彼には会えないんだ。』
わかっているはずなのに、そう思うと、僕は、どんどんブルーになっていった。あんまり深く考えすぎないように頭を振って笑ってみても、気晴らしになりそうな音楽をかけてみても、全然駄目だった。今の僕を束縛しているものは、単に、僕が彼のことを好きだ、ということだけでしかないんだ、と認めるのがつらかった。それじゃあ、彼を僕に束縛するものは何もないんだろうか。きっと、こんな夜を一人で過ごすのは、僕には無理だ。
「とにかく出かけよう。」
僕は、誰かの声が聞きたくて、部屋の外に出た。

 にぎやかそうな店がいいかな、と思って、僕は、知ってる限り一番にぎやかなところを選んでドアを開けた。でも、そこには、僕を慰めてくれそうな顔はいなくて、僕は、その店を選んだことをすでに後悔していた。とりあえず、できるだけ明るくしなくちゃ、と思って、カンパリソーダなんかをすすりながら、僕は、BGMに身をゆだねていた。それなのに、僕の努力は無駄になりそうだった。1つ空けて座っていた顔見知りのやつが、
「また遠距離恋愛だって?」
いきなり僕に呼びかけてきた。悪いかよ。どうしてみんな、そういうふうに、同情というか、一種さげすむような感じで言うのかなあ。
「まあね……。」
でも、こんなやつに真剣になってもしょうがないから、僕は適当に返事をする。
「遠距離なんかしなくっても、君なら、結構もてるじゃないか。」
そういう無責任なことを言うか?
「だって、いないんだもん。」
僕は適当にあしらっておくことにする。
「え?知らないのか?……は、君のことが好きなんだぞ。」
やつは、わざわざある人の名前を挙げて、それを僕の目の前に突きつけてみせる。
『知ってるよ、そんなことぐらい。』
さすがに、僕は、言うべき言葉を思いつかなかった。まさか、こいつは、本気で、僕がその人の気持ちに気がついていないなんて思ってるんだろうか。あんなにあからさまな視線を投げかけられて、その意味に気がつかないやつなんか、おまえくらいのもんだよ。って、今日は、どうしてこんなに攻撃的なんだろう。
「へえ……。」
でも、僕が、沈黙とポーカーフェースを守ったので、やつはそれ以上何も言ってこなかった。ただ、そいつの攻撃は、きっと、やつが思っている以上に僕の心に突き刺さっていて、僕は、グラスの中身を一気に飲み干すと、
「帰る。」
いたたまれない気持ちを抱いてその店を出た。      
「僕は、どこに行けばいいんだろう。」
夜の街は、人の群れに満ち満ちていて、
『こんなにいっぱい、いい男はいるのになあ……。』
その中を、僕は、とぼとぼと歩いていた。