垣本が車で来てる、と言うので、帰りは垣本の車に乗せてもらうことにした。実際のところ、帰りの電車賃を節約する、という大義名分がなかったら、後輩に車で送ってもらうなんていうのは、多少考えたと思うのだ。それとも、垣本の車に乗せてもらうから、こんなにいろいろ弁解する必要があるのだろうか。
「僕、車だから送りますよ。」
垣本が、不思議なくらいニコッと笑って、せっかくそう言ってくれてるんだから、それを断る、ってわけにはいかないんじゃないかな。
「でも、悪いよ。」
一応はそう言ってみたんだけど、
「何気取ってるんですか、栗坂さん。」
なんて、これで結構、生意気なところもあるのだ、垣本の奴。
「遠慮してもらうような車じゃないんです。」
それじゃあ、いったいどんな車に乗ってるのか、というと、これが、いわゆる『ワン・リッター・カー』なる代物で、いかにも垣本らしいと思うのだ。
一日中、炎天下で蒸し焼きにされた車内は、シートの上までむわっと熱を持っていた。
「たまらないなあ……。」
エアコンの風がやっと冷たくなってきて、その風のあたっている部分だけは涼しかった。
「そのうち冷えてきますよ。」
けれども、背中からは、十分すぎるほど加熱されたシートの熱、ウィンドーを通しては、西に傾きかけて最後のあがきをみせる太陽の熱、さながらオーブントースターというところだった。熱くて仕方ないんだけど、下は短パンでこれ以上脱ぎようがないから、上半身に汗で貼りついたTシャツを脱ぐことにした。
「僕の車の中で、そんな卑わいな格好をしないでくださいよ。」
垣本は、例の笑い方をしながら抗議したけれど、考えてればおかしいのだ。ついさっきまで、浜辺でこれと同じような格好でいたのに、浜辺でなら何ともなくて、車の中だと卑わいになるなんて……。
「暑いんだから、仕方ないだろ。」
僕が開き直ってそう言うと、
「栗坂さんの裸が助手席でチラチラしていたら、ハンドルを誤りそうですよ。」
垣本は、わりと上手なハンドルさばきをみせながら、そんなことをつぶやいた。
世の中なんていうのはつくづく信じられないもので、海水浴場から一般道路に出たところで、早くもラッシュが始まっていたりしたのだ。
「ひどいなあ、全然前へ進まないじゃないか。そりゃ、海水浴場だって混んでたけど、こんなことが許されてもいいのだろうか。」
「これじゃあ、かえって栗坂さんに悪いことしちゃったかなあ。」
垣本は、そんなふうに責任感じてたりしてるんだけど、
「僕は平気だよ。自分で運転してないから、ラッシュなんか何とも思わないから……。」
これは、垣本の責任なんかじゃなくて、無能な政府の貧困な道路行政に問題があると思うのだ。
「……。」
とは思うものの、あくびが出てしまう。久しぶりでがんばって泳いだりしたから、疲れてるのかなあ。ひょっとしたら、僕も、もう年だったりして……。
「寝ててもいいですよ。」
僕があくびしたことを、垣本は面白がっているみたいだった。
「うん。」
子供みたいでちょっと恥ずかしかったけど、当分の間、車は現在地を離れそうになかったから、僕は、リクライニングをフルに活用してシートをいっぱい倒すと、べたっと横になったのだ。
もちろん、眠っちゃう気なんかなかった。だから、最初のうちは、垣本とくだらない冗談の言い合いとかしてたんだけど、そのうちに、カーステレオから流れてくる音楽が僕の頭の中で勝手にふくらみ始めて、いつのまにやら眠っちゃってた、ということなのだ。垣本に言わせると、『あどけない』寝顔だったということで、思い出しただけで赤面してしまう。で、なんだかよくわからないけど、目が覚めてしまった時の状態が、もう一度、改めて赤面してしまうようなものだったのだ。
「垣、垣本……。」
僕は思わずそう言おうとしたんだけど、残念ながら、
「ウ、ウッ……。」
なんていう意味のない音しか出せなかった。何故か、というと、つまり、僕は、垣本にキスをされてたから、なのだ。
「栗坂さん……!」
僕が目を覚ましたことに気がついて、垣本はちょっと唇を離したけど、運転席のシートとの間にあるハンドブレーキなんかの障害物を乗り越えて、今度は僕の体におおいかぶさってきた。
でも、僕は、あたりのことが気になって、それどころじゃなかったのだ。
「駄、駄目だよ、垣本。……道路の真ん中でこんなことする奴があるかよ。」
そうしたら、垣本は、くすくす笑って、
「全然気がつかなかったなんですか?」
ますます僕に抱きついてくるのだ。
「え?!」
思い垣本の体を抱き起こすようにして外を見ると、
「どこだよ、これ?」
波の音かな、あれは……。
「あんまり混んで嫌になったから、脇道にそれて……。」
ひどいなあ。っていうことは、僕は垣本に誘拐されちゃったんだ。でも、まあ、ここなら、垣本みたいな物好きのほかは滅多に車も通らないみたいだから、安心なんだけど……。考えてみると何が安心なのかよくわからないなあ。だって、垣本に、……キスされてしまったのだ。僕は、改めて垣本の舌の感触を思い出して、思わず赤面してしまった。
「栗坂さん……。」
そ、そんなマジな顔で迫られると……。僕は後ろへ倒れることで垣本の唇から逃げようとしたけど、シートへ倒れ込んだところで、とうとう垣本につかまってしまった。