次の日、僕は何となく義務感みたいなものを感じて、トリスタンへ出かけてみることにした。
「いらっしゃい。」
カウンターの中のマスターが、愛想を振りまきながら、僕におしぼりを手渡してくれた。
「きのうどうだった、将弘?」
さすがに気になったからそう尋ねてみたんだけど、
「さあ、知ちゃんに電話したら、すぐ出ていっちゃったから……。」
わりとマスターは素っ気なかった。
「一人で……?」
マスターは肩をすくめて首を横に振りながら、
「今日も来るって言ってたから、詳しいことは本人に聞いてちょうだい。」
と、いくぶん煩わしそうに言うのだ。確かに、マスターにしてみれば、僕と将弘とのことなんか、他愛ない痴話げんかなのかもしれないなあ。
 それにしても、もう、将弘の浮気っぽいのなんか慣れてしまったはずなのに、こんなふうに嫉妬したりするなんて、自分でもびっくりしてしまった。
「いらっしゃい。」
誰か店に入ってきたみたいなので、ひょっとしたら将弘かと思って振り返ってみたら、えらく懐かしい人が立っていた。
「お、知……!」
「あれ、啓ちゃん……。」
啓ちゃんは僕の隣に座りながら、愛想を取り戻したマスターからおしぼりを受け取った。
「久しぶりだね。」
もう何年会ってなかったんだろう。
「元気だった?」
この声が好きだったんだ、と僕は思いながら、
「啓ちゃんも元気だった?」
と返事した。
「水割り……。」
と注文してから啓ちゃんは僕を振り返り、もう一度懐かしそうにまじまじと僕を見ていった。
「あれから、どうだい?」
あれ、というのは最後に話をしたときのことなのか、それとも、もっと前のあんまり思い出したくないときのことなのかわからなかったけど、わざわざ聞くのも野暮な気がした。
「まあまあ、かな……。」
痴話げんかも、まあまあ、のうちに入るんだろうか。
 啓ちゃんは、水割りをちょっと飲んでから、
「今は、誰かとつき合ってるの?」
と、片目をつぶってみせた。
「……うん、まあね。」
今の将弘との状態が「つき合ってる」というのはちょっと抵抗があったけれども、四捨五入すればつき合ってることになるんだろうなあ。
「啓ちゃんは?」
啓ちゃんは、ちょっと笑って、
「俺も、まあね、かな。」
と、僕が大好きだった、おどけたような表情になった。
「じゃあ、今日は待ち合わせ?」
僕も、啓ちゃんの真似をして、片目をつぶってみせた。
「今日は独身。そいつが出張だから、羽を伸ばしに来たんだ。」
そういう観点からすれば、僕なんか毎日独身なんじゃないかな。
「知は?」
「待ち合わせと言えば言えないこともないけど、どっちかっていうとすっぽかしたい気分……。」
啓ちゃんなら、僕の気持ちをわかってくれるんじゃないかな。
「よし、じゃ、久しぶりでいっしょに飲みに行こうか。」
そう言うと、僕の返事なんか待たずに、マスターに、
「おあいそ。」
なんて言うところは全然変わってなかった。
「あら、知ちゃん、マーちゃんはいいの?」
一言多いったら、マスター。
「いいんだ、しばらくは絶交だから……。」
将弘のことなんか思い出したくもない。なんてつぶやいたけど、本当はちょっとだけ気になっていたりして……。
 別の店へ行ったとき、そこは将弘に行きそうなところじゃなかったんだけど、やっぱり将弘に会わないかびくびくしていた。そこのマスターからおしぼりを受け取って、啓ちゃんに僕の分も水割りを注文してもらったら、やっと落ち着いてきた。
考えてみれば、僕が何も言わなくったって、あのおしゃべりトリスタンのマスターが、
「あら、知ちゃんなら、啓ちゃんといっしょ出ていったわよ。」
なんて将弘にしゃべってしまうんだろうから、今さらびくびくしてみても始まらないのかもしれない。
「今日はどうするんだ?」
早くも水割りを一杯空けてしまった啓ちゃんが、僕に尋ねた。
「どうって……?」
「帰るつもりか、って言ってるんだ。」
そんなこと言っていいのかなあ、と僕は思ったけど、多少将弘のことでむしゃくしゃしてたのもあって、僕も、
「啓ちゃん次第だよ。」
なんて言ってしまった。
「じゃ、今日は帰らないんだな。」
啓ちゃんといると不思議と素直になってしまうなあ、と思いながら、僕は、
「啓ちゃんがそのつもりならね。」
と付け加えた。そうしたら、
「そういう言い方をするところは、全然変わってないなあ。」
と啓ちゃんは笑って僕の肩を抱いた。