あくる日、僕が帰ってくると、将弘がドアの前で僕を待っていた。僕を見ても知らん顔をしているので、僕は黙って鍵をあけて、
「入れよ。」
と将弘に言った。将弘はぶすっとしたまま入ってくると、そっぽを向いて僕のお気に入りのロッキングチェアに腰を降ろした。この気まずさは、トリスタンのマスターがしゃべったに違いない。
「茶でも飲むか?」
将弘はじろっと僕を見ると、
「コーヒー」
と一言だけ言って、また黙り込んだ。しゃべらないのなら、ずっとしゃべらずにいればいいのに、飲みたいものだけはちゃんと言うところが将弘らしいなあ、と僕は苦笑して、それでもせっかくのリクエストだから、カリカリと豆を挽いて、ペーパーで『地獄のように』あついのをいれてやった。
「きのう、どうして待っててくれなかったんだよ。」
ブラックで一口すすると、将弘は自分のことは棚に上げて、そんなことを言った。
「待ち合わせなんかしてなかっただろう?」
まずは僕のポイントだな。
 そうしたら、将弘はイライラしたみたいで、
「きのう、浮気したんだろう。」
と言った。悪いとは思うのだけれど、将弘が不機嫌にしている様子を見るのが、僕には不思議と楽しかったりした。
「浮気なんかしてないよ。」
啓ちゃんとは昔、それなりのことがあったんだから、強いて言えばリバイバルなんだ、なんて僕はうそぶいてたりした。
「トリスタンのマスターが言ってたんだから、誤魔化したって駄目だぞ。」
やっぱり言ったんだ、あのおしゃべりマスター。
「そう言う将弘だって、浮気したんだろ?」
「え?!」
そんなに驚いた顔をするということは、どうやら僕のところへ電話したのも憶えていないぐらい酔ってたんだな。
「トリスタンのマスターが言ってたんだから、誤魔化したって駄目だぞ。」
僕が将弘の真似をしてそう言うと、楽しいことに将弘はますます不機嫌になった。
「俺のは、浮気じゃないんだ……。」
と、将弘は不器用に言い訳をした。
「じゃあ何だよ。」
いつもならここらへんで心優しい僕が折れてやるんだけど、今日はちょっと強い態度に出ることにした。
「将弘が浮気したのなんか、きのうだけじゃないだろ?トリスタンのマスターに聞いたんだから。」
そうしたら、将弘は急にうつむいてしまって、鼻をすすり上げたりなんかするのだ。
 僕は、すっかりあわててしまった。
「ど、どうしたんだよ。」
僕が将弘のところに行って、肩に手をかけると、将弘はいやいやをするようにして僕に背中を向けてしまった。それどころか、手の甲で目のあたりを拭いたりするのだ。僕はびっくりしてしまったから、
「ごめん、ごめん、僕が言い過ぎたよ。」
と謝ったのだ。そうしたら、途端に将弘が僕を振りかって、目一杯ニヤニヤしながら、
「わかればいいんだ。」
と、ぬけぬけと言うのだ。こんな場合でも、くだらない演技をしてみせるのだから、僕は、将弘の様子が演技だったということより、将弘が演技をしたということのほうに、あっけにとられてしまった。
「謝ったってことは、知が自分の浮気を認めたってことだからな。」
って、どうしてそうなるんだよ、っていうようなひどい理屈をこねる。
 そんなわけで、結局今日も、将弘のペテンにひっかかった僕が折れてやることになってしまった。
「浮気なんかして、知は俺に飽きちゃったんだろう。」
駄々をこね始めるとまるでガキだから、まったく閉口してしまうけど、ちょっとだけのろけるなら、実はそんなガキみたいなところも好きだったりして。
「そうじゃないよ。」
本当に使い古されてしまった台詞を僕はしゃべった。
「じゃあ何だよ。」
どちらかというと、僕がこの台詞をしゃべるべき立場にあるんだけど、僕等の場合は、いつもこんなふうに二人の台詞が逆転してしまっているのだ。
「好きなのは将弘だけなんだ。」
ちょっと芝居がかりすぎたかな。
「好きだっていうんなら、その証拠を見せてみろよ。」
将弘はすけべたらしく、目をキラキラさせながら言った。
「だから、わざわざ豆を挽いてコーヒーを入れてやっただろ?」
僕が将弘の前にひざまずいて、何かをするとでも期待してたんだろうけど、急に現実的なことを言われたものだから、将弘は思わず笑顔になってしまった。
 本当に世話が焼けるんだから、と僕はやっと機嫌が直ったらしい将弘の顔を見ながらホッとしたんだけど、
「駄目だなあ、せっかくいいところだったのに。」
なんて将弘が言うもんだから、今度は僕のほうがちょっとむっとなったりした。
「僕だったたまには嫉妬することもあるんだからね。」
将弘はちょっときょとんとしていたけど、やがて、真面目な顔になって、
「ごめん、あれは本当に浮気だったんだ。」
と謝った。