Dreaming 俺

火曜日, 4月 29, 1997

 土曜日の昼間に彼と待ち合わせをするのは久しぶりだった。
『今週の金曜日は、飲み会で夜中まで飲んでるから、あんまり早い時間には出ていけないよ。』
このあいだの電話で彼がそう言うものだから、
『じゃあ、土曜日の昼間にしようか。』
俺は、そう言って、以前にも彼と待ち合わせたことのある喫茶店の名前を言った。
『わかった。じゃあ、2時頃には行けると思う。』
と彼は言った。
「2時って言ったよなあ。」
けれど、俺の腕時計は、すでに2時を10分ほど回っている。
「道に迷ってるのかなあ。」
天井から床まで全面ガラスがはめ込まれた窓際の席で、俺は、ぼんやりと窓の外の歩道を行き交う人たちを見ていた。彼は、道に迷うほどは馬鹿じゃないけど、待ち合わせの場所を間違えるくらいには、ぼーっ、としている。
「場所を間違えてるのかなあ。」
ひょっとして、自分が間違えているんじゃないかと、ちょっと不安になってしまう。
「でも、今さらどうしようもないな。」
彼との待ち合わせだと、どうしてだか、待たされてもそんなにあせる気になれない。
「そのうち来るだろう。」
窓の外の歩道の上では、俺以外にも待ち合わせをしているらしい男の子や女の子が、腕時計を気にしながらガードレールにもたれている。俺は、こういう事態に備えて、一応、暇つぶしの文庫本を持って来ていたけど、わざわざそんなものを読まなくても、この店なら窓の外を見ているだけで、充分暇つぶしになる。笑いながら連れだって歩いていく学生っぽい男の子達、ビジネスがスーツを着て歩いているような男達。近づいては遠ざかっていく人達を見ていると、全然見飽きることがない。歩いていく人たちからも、店の中の様子はよく見えるはずなのに、不思議と俺の視線に気づく人はいなくて、透明人間の気分でマンウォッチングを楽しむことができる。だから、その男の子が歩道を駆けてくるのを見つけたときも、
『なかなか、かわいいな。』
見るともなくその子のことを見ていただけだった。ごくごくオーソドックスなストライプのネクタイで、紺のスーツだけど、そのスーツを脱がせてみたい、と思わせるような色気があって、俺は、たぶんちょっと下品に微笑っていたかもしれない。ネクタイが風になびいているのも悪くないな、と思いながら、俺は、その子のネクタイのパターンに見覚えがあるような気もしていた。そうしたら、その子は、俺の待っている喫茶店に入ってきて、ついでに俺の座っているテーブルの前の椅子に腰を降ろした。
「待った?」
確かに待っていたけど、
「珍しいじゃないか、スーツなんか着て……。」
まさかスーツ姿で現れるとは思ってもいなかったから、しばらくそれが自分の待ち合わせている相手だと認識できなかった。
「ひょっとして、今日も仕事だったのか?」
まさか、昨日の夜からの朝帰りの途中じゃないよな。
「たまには、いいかな、と思って……。」
俺の疑わしそうな顔がうれしかったのか、彼はいたずらっぽい笑顔を見せた。
 別に彼の気まぐれが許せないわけではなくて、俺は、彼のスーツ姿と俺自身のラガーシャツにジーンズという姿との落差にとまどっていただけなのだ。
「飯でも食いに行くか?」
俺が立ち上がると、彼は、やけにはしゃいだふうで、
「うん、僕、イタリアンがいいな。」
俺の後からついて来た。
「何かあったのか?」
へたをすれば、俺と腕を組んで歩きかねないくらい御機嫌で、ネクタイと同じくらい怪しい。
「何にも……。」
どうやら彼は、俺の困惑を楽しんでいるらしいので、とりあえず、飯を食いに行くべき『イタリアン』をどの店にするか、という問題に没頭する。
「どこか行きたい店はあるか?」
もちろん、彼は、
「どこでもいい。」
一応はそう言ってみせるが、彼の場合、『どこでもいい』というのは、『どこでも満足する』という意味ではないというところに、俺はいつも苦笑させられてしまう。
 俺が食い物屋に関する知識を総動員して選んだレストランに入って、彼は、メニューとにらめっこをしながらさんざん迷ったあげく、
「じゃあ、この鮭のカルパッチオと、エンゼルヘアのパスタにする。」
とのたまった。俺は、彼の注文に対してコメントするのはやめて、この店の料理人の腕が、彼の小生意気な口を封じる程度には優れていることを祈ることにした。まあ、いざとなれば、押し倒してキスをしてしまう、という非常手段もないではないが、まさか、こんな所ではそういうことをするわけにもいかない。
「どうかした?」
彼はあいかわらずの御機嫌のままだ。
「いや……。」
俺は黙ってグラスワインを一口すする。それにしても、今日のこのミスマッチを、この店のウェイターはどう解釈しただろう。俺にとっても首をひねってしまうような今日の二人の組み合わせは、さぞかし怪しげなものに違いない。もちろん、俺が思っているほど、街ですれ違う人達が俺達二人に興味を持つわけではないだろう。いずれにしても、俺と彼は、明白なカップルではあり得ないのだ、と考えると少し寂しくなる。
 飯を食べながら、他愛ないことを話していると、思いがけない発見がある。
「そうやってスーツを着ていると、サラリーマンに見えるな。」
俺がからかうと、
「だって、僕はサラリーマンだよ。」
ちゃんと反論してみせるところがかわいい。
「季節遅れのリクルータのスーツに間違われるんじゃないか?」
まあ、さすがにそこまで若くは見えないとは思うけど……。
「仕事もちゃんとやっているよ。」
それは感心。
「へえ……。」
俺がちょっと微笑ってみせると、
「給料もらってるっていうことは、プロなわけだから……。」
なかなか厳しいことをいう。
『プロなんていう言葉を聞くとは思わなかったなあ。』
と、俺はまた微笑ってしまう。けれども、こういう言い方をするのは、きっと彼がちょっと敏感になっているからに違いないので、俺は、もう一口グラスのワインをすすって、よけいなコメントは慎むことにした。