Dreaming 俺

火曜日, 4月 29, 1997

 さすがにその日は、俺は仕事に手がつかない状態で、
「具合でも悪いんですか?」
いっしょに仕事をしている後輩達に、そう言われてしまった。彼のことが頭にあるときは、いつもこんなふうになってしまうなあ、と思いながらも、
「ちょっと……。」
本当のことを言うわけにもいかないから、適当なことを言って誤魔化す。
「今日は、早く帰ったほうがいいんじゃないですか?」
わざわざみんなが心配して、そんなことを言ってくれるんだけど、俺は言われるまでもなくそうするつもりだったので、みんなの心配をいいことに、さっさとずらかってしまった。こんな状態の日は、仕事なんかしていても、ろくなことがなくて、まわりの連中に八つ当たりしてしまうくらいがいいところだから、みんなも、不機嫌そうな俺がいなくなれば、ほっとしてるんじゃないだろうか。もちろん、自分の部屋に帰ったところで、何か事態が改善されるわけでもなく、逆に、俺に用意されている手段の少なさに、余計、情けなくなってしまう。
 とりあえず、彼の部屋に電話を入れてみる。もちろん、俺も、彼がこんなに早い時間に帰っていると思っていたわけではないけれども、心の底では、彼が部屋にいることを期待していた。だから、何回かの呼び出し音に続いて、留守番電話が録音した彼の声を流して寄こした時には、ちょっとがっかりしてしまった。
「メッセージをお願いします。」
という彼の声がして、発信音が鳴った。こういうときには、例えば、
『俺にはおまえが必要なんだ。』
とか、
『隣におまえのいないベッドで寝るのは寂しい。』
とか、気の利いたメッセージを残すべきなんだろうけど、俺は、やっと、
「お帰り。……好きだよ。」
それだけを言って、電話を切ってしまった。結局、俺にできることは、これくらいしかないんだ。電話で、まして、留守番電話のメッセージで、俺は、何を語ることができるだろう。
 受話器を置いて、しばらくの間、俺は、
『これからどうしよう……。』
ロッキングチェアに浅く腰をかけて、じっとしていた。
『こうしててもしょうがないな。』
そして、思いつくままに、車に乗って出かけることにした。もちろん、行き先は、彼の部屋だけれども、
『まだ、戻ってないよなあ。』
彼の部屋の窓に、明かりが灯っていないことを祈るような気持ちで、俺は車を運転した。
『あれ、もう戻ってるのか?』
俺の予想に反して、彼の部屋のカーテンの隙間からは、中の明かりがもれていた。
『まさか、点け忘れじゃないよな。』
部屋の中で、かすかに人の動く気配もするようなので、彼が部屋に戻っているのは間違いないようだった。
『彼の部屋に行ってみるか?』
俺の部屋の鍵を彼が持っているように、俺も彼の部屋の鍵を持っているから、その気になれば、押し込み強盗をするのは簡単だ。
『そして、彼を盗んで帰る、っていうのは、なかなか誘惑的な考えだな。』
俺は、自分の考えに、ちょっと苦笑ってしまったが、さすがに実行する気にはなれなかった。
 そんな馬鹿なことを考えながら、俺はしばらくの間、彼の部屋の窓の明かりを車の中からながめていた。
『帰るか……。』
そして、結局、何もできないまま、俺は、車のエンジンをスタートさせた。
『自分の部屋に帰ってるんだから、それでいいよな。』
この時間に、彼がもう部屋に帰っている、という事実に、俺は、ある意味でほっとした。
『やっぱり彼の部屋に押し入るべきだったんだろうか。』
そんなことを自問してみたが、俺には、彼の部屋の明かりをながめるくらいが、自分にできるせいいっぱいのことだとわかっていた。これでは彼の気持ちを納得させることはできないかもしれないが、少なくとも、俺自身の自己満足にはなる。
『でも、さっきの留守番電話に残したメッセージはうそじゃない。』
きっと好きでいるためには、いろいろな努力が必要で、俺も、例えば、さっきのメッセージを彼に納得させるための努力をする必要があるんだろう。けれども、今の俺には、どんな努力が彼を納得させられるのか、たいしたことは思い浮かばなかった。
『明日は、彼をさらいに来るかな。』
そうして、最終的に、今日の俺は、大人しく自分の部屋に引き上げることにした。
 俺は、結局、何もできないまま、自分の部屋に帰ってきた。自分の部屋で、いつものスタイルで読みかけの本を広げてみたけれど、いつまでたってもページが進まなかった。それどころか、何か音がしたような気がして、しょっちゅう玄関のところまで見に行っていた。
『今日は、帰って来ないんだろうなあ。』
時計はいつのまにか、いつも彼が終電で帰ってくる時刻になっていた。何度目かの、
『もう帰って来ないんだろうか。』
そんなことを考えながら、一方で、俺は、明日、彼の部屋へ人さらいのために押し入る決心をひそかに固めていた。
 すると、その時、確かにドアの開く音がした。俺は、自分の耳が信じられなくて、
『これは、きっと、聞き間違いだ。』
ロッキングチェアに腰を降ろしたまま、全身をこわばらせていた。
「ごめん、遅くなっちゃって……。ちょっと部屋に寄っていたから。」
本当に、彼が、俺の目の前に立っている。いつもと変わらない彼の表情に、俺は、何を言えばいいのかわからなくて、
「そうか……。」
自分の声がこわばっているのがわかる。彼は、珍しく俺の言葉にはにかんで、
「うん、旅行に行くんなら、ショートパンツとかを持っていきたいな、と思って……。」
ぶら下げている紙袋に視線を落とした。
「……。」
俺の硬い表情を誤解したのか、彼は、あわてて、
「別に、普通のショートパンツなんだ。ほら……。」
と、スーツを着たままで、紙袋の中身を広げて見せた。
「……。」
俺は、彼が、きのうのことに全然ふれないことにとまどっていただけだったのに。
「あとは、Tシャツとか……。」
でも、彼のあわてぶりが面白かったので、そのまま誤解させておいた。それどころか、
「そんなにかわいくなって、どうするつもりなんだ?」
余計、彼を混乱させるようなことを言ってみたりする。
「え……?」
俺は、彼のこの困惑した顔が好きなんだ。
「助手席に、そんなかわいいやつが乗ってたら、運転できないじゃないか。」
俺がそう言うと、
「もう……、そうやって僕のことを馬鹿にするんだから……。」
彼は怒ったふりをする。
「どうせなら、今、ゆっくりショートパンツ姿を見せてくれよ。」
このショートパンツを彼にはかせてみれば、本当に、かなりかわいいかもしれない。
「えー……?」
俺は、彼のかわいい姿を自分以外の誰にも見せたくない。
「いやらしいなあ……。」
俺は、彼のこの、怒ったふりをしている横顔が好きなんだ。
「いいじゃないか。」
俺は、相変わらずのこわばった口調で言いながらも、彼が、上着を脱いでネクタイを外すのを見ているのが、うれしくてしょうがなかった。
「本当に見たい?」
俺は、彼のこの、ちょっと恥ずかしそうに上目づかいで俺の方を見る顔が好きなんだ。
「……。」
ズボンを脱いだ彼のトランクスは、隠しようがないくらい突っ張っていて、俺がそのままベッドに押し倒すと、
「あっ……。」
俺の息が耳たぶに触れただけで、彼は小さい声を上げた。
「ありがとう。」
俺は、そっと彼の耳元でささやいた。俺の部屋に帰って来てくれて、ありがとう。
「え?」
彼は、体を起こそうとしたけれど、俺がもう一度キスで押し倒してしまったので、
「ううっ……。」
彼に、俺の言葉の意味が分かっただろうか。結局、彼のショートパンツ姿を見たい、という俺の望みは、その日はかなえられなかった。