Dreaming 僕

火曜日, 4月 29, 1997

 結局、車が走り始めてからも、彼は、最終的な目的地については、決めかねているようだった。
「やっぱり海だよな。」
日本の場合は、真っすぐ走っていれば、いずれ海だとは思うけど……。
「泊まるところは?」
こういう行き当たりばったりなのも、それはそれでいいかもしれない。
「そうだなあ、ちょっとぜいたくに、リゾートホテルとか……。」
確かに、彼が言うような案も悪くはないと思うけど、
「でも、今、って、オンシーズンのばりばりの時期だよ……?」
実現性には、やや乏しいものがあるような気がする。
「空いてないかなあ……。」
その前に、本当は、目的地をはっきりさせるべきだとは思う。
「さあ……。」
でも、だからと言って、
「じゃ、民宿でも探してみるか。」
この落差は、なんとかして欲しい。
「……。」
僕は、この件でこれ以上、議論することに空虚しさを覚えたので、とりあえず、車の外の景色をながめる、という刹那的な快楽に身を委ねることにした。
 僕が黙り込んでしまったので、彼にも、僕の気配が変わったのがわかったらしく、彼は、
「怒ったのか……?」
ちょっと心配そうに僕の方を振り返った。
「ううん。」
僕は、本当に、心から彼の言葉を否定した。
「いっしょにドライブできるのに、怒ることなんか、何もないよ。」
僕が、真面目に言っているのに、彼はそれを一種の皮肉だと思ったらしく、
「そうか……。」
ハンドルを握りながら、困ったように苦笑っている。
「本当だよ。」
僕は、彼の横顔を見つめながら、できるだけ真剣に言った。
「僕、本当にうれしいんだ、いっしょに旅行ができて……。」
好きな人といっしょにいられるだけでいい、と思えるのは、別に強がりでも何でもない。
「そうだな。いっしょに旅行するのは初めてだな……。」
彼も、ちょっと感慨にふけっているらしかった。
 僕は、ちょっと考えてから、できるだけさり気なく、
「僕、変わった?」
と、尋ねてみた。本当は、
『少しは軽くなった?』
と尋ねてみたかったんだけど……。彼は、ちょっと微笑ってから、
「さあ……、どうだろう。」
指先でハンドルを、ちょっとだけはじいて見せた。
「……。」
いつものようにうまくはぐらかされてしまっても、僕は、なんだか穏やかな気分だった。
「僕は、変わったような気がするんだけど……。」
そして、正直に自分の気持ちを口にしてみた。もちろん、彼は、それに対しても、
「そう思うんなら、変わったんじゃないか?」
微笑って見せただけだったけど。僕は、彼があんまりはかばかしい返事をしてくれないので、次にいうべき言葉を思いつかなかった。
 そのまましばらく走った後で、おもむろに彼は、
「とりあえず、アイスクリームでも買いに行こうか。」
なんて言い出したんだけど、どうもこれは、様子がおかしい僕の機嫌を取っておこうという彼の策略の匂いがする。
「うーん……。」
だから、僕は、ちょっと難色を示すふりをしてみたけれども、
「じゃ、やめるか?」
やっぱり、彼にはかなわないことを思い知らされてしまう。
「ここでいいかな?」
彼は、車をスーパーの駐車場にすべり込ませると、
「いっしょに行くか?」
と、僕に尋ねてくれた。
「うん。」
僕は喜んで、彼といっしょに車を降りた。肌に突き刺さるような夏の光が、エアコンに慣れた体にはかえって気持ちよかった。
 結構大きめのスーパーだったので、買い物かごをもってうろうろしていると、
「これも買おうよ。」
ついつい、果物だとか、発泡性ミネラルウォーターだとかをかごに入れてしまう。
「そんなに買うのか?」
ヨーグルトとプリンのパッケージを放り込んだところで、彼の視線がちょっと厳しくなった。
「まだ、アイスクリームを買ってないんだぞ?」
僕は、彼の言葉で、
「あ、忘れてた。」
アイスクリームを売っている冷凍ショーケースに直行した。
「……。」
彼が、あきらめ顔でついてきて、でも、そのくせ、
「それより、こっちのほうがうまいと思うけどな。」
なんだかんだとかごに放り込んだ。
 結局、こんなに食えるのか、というぐらいの量が入ったかごをぶら下げてレジへ行くと、彼が、
「じゃ、俺が払ってやるよ。」
と言うので、僕は、
「ありがとう。ごちそうさま。」
素直に払ってもらうことにした。
「全く、見さかいなく買うからなあ……。」
彼が、ぶつぶつ言っているのが聞こえたけど、知らんぷりで、僕は、レジの外側で、にこにこ顔で待っていた。
「ほら……。」
彼が、ドサッ、とかごを投げるように僕に寄越したので、にこにこ顔のまま受け取って、かごの中身をスーパーの袋に詰めた。
 そして、買い込んだものを持って車にもどる途中で、僕は、
「ところでさ、いったい何泊するつもり?」
素朴な疑問を口にしてみた。
「そうだなあ、何泊するかなあ……。」
明らかに困った様子の彼の表情に、僕は、
『聞かなければよかった……。』
ちょっと頭を抱えてしまった。
「ま、いいじゃないか、細かいことは。」
スーパーの袋を抱えるようにして車に乗り込みながら、僕は、
「とにかく、がんばって食おう。」
彼の言う通り、細かいことは考えないことにした。
「あんまりがんばると、腹をこわすぞ。」
彼は、車をスタートさせながら、ちょっと微笑った。
「でも、早く食わないと、だめになっちゃうよ……。」
本当に、何も考えてないんだから。
「ホテルに着いてから、ゆっくり食えばいいじゃないか。」
はあ?
「……?」
彼は……、にやにやしている。
「アイスクリームばっかり食ってると、今日中にホテルに着けないかもしれないぞ。」
ホテル、って……?
「何?」
どうも、僕は、はめられたのかもしれない。
「だから、予約してあるホテルに……。」
そういうこと、全然、言ってなかったと思う。
「本当?」
彼は……、もっとにやにやしている。
「うそなわけないだろ?」
僕は、アイスクリームを食うのも忘れて、彼の横顔を見ていた。
「ほら、溶けちゃうぞ。」
かれは、ちらっ、と僕を振り返って、僕の持っているアイスクリームに視線をやった。
「あっ……。」
あわててアイスクリームをなめ始めた僕に、彼は、
「休みの予定が決まったときに、ホテルなんか全部予約してあったんだぞ。それなのに、忙しいとか言ってるから、もしかしたら休めないんじゃないかと思って、ひやひやしてたんだ。」
とうとうこらえきれずに、くすくす笑いながら言った。
「えー……?」
僕は、何て言えば、彼に、今の自分の気持ちをわかってもらえるのかわからなかった。
「アイスクリームはうまいか?」
あいかわらず、彼は、くすくす笑っている。僕は、それには答えずに、流れていく夏色の景色を見ながら、アイスクリームの冷たい甘さをかみしめていた。

(笑顔を添えて、Kに……。)