Dreaming 僕

火曜日, 4月 29, 1997

 腕時計の時間を気にしながら、そろそろ帰る準備をしようと机の上を片付け始めた頃、携帯電話が鳴った。こんな時間に、この番号にかけてくる人は、あんまりいないはずなのに……。
「もしもし。」
受話器の向こうの声は、やっぱり、彼だった。そういえば、彼の声を電話で聞くのはずいぶん久しぶりな気がする。
「なんだ。どうしたの?」
彼の声を聞いただけで何となく落ち着いてしまって、また机の前のいすに腰を下ろしてしまう。
「今日は俺の部屋へ帰って来るんだろ?」
いきなりそういうことを……。
「……じゃあ、そうする。」
そういえば、何故か今朝はその可能性を用意してこなかった。
「じゃあ、早く帰って来いよ。」
そんなこと言ったって。
「今日はちょっと忙しくって……。」
僕だって、たまには真面目に残業することだってあるんだ。
「まだ、仕事が終わらないのか?」
からかうような彼の声が、悔しいはずなのに、なんだかうれしかったりする。
「もう、終わったよ。……帰ろうと思ってかたづけてたところ。」
お子さまの僕は、ちょっとむきになってたりする。
「じゃあ、早く降りて来いよ。」
え?
「どこから電話してるの?」
彼が、受話器の向こうで笑っている気配がする。
「どこにいるんだよ。」
僕は、なんだか不安になる。
「車で迎えに来てやったよ。」
えー?
 てっきり冗談かと思ったけど、本当に彼は、近くの裏通りに車を停めて、僕を待っていてくれた。車の近くまで行くと、彼が手を振ってくれているのがわかった。車のドアを開けると、
「ずいぶん遅かったじゃないか。」
彼のお気に入りの音楽が路上にあふれ出した。
「ありがとう。」
僕が車のドアを閉めるのを待ちかねるように、彼は車を発進した。
「よかった、終電に間に合いそうになかったから、ちょっと憂うつだったんだ。」
彼はいつものドライビングポーズで、車を青信号の流れにのせながら、
「電話してくれば、いつでも迎えに来てやるよ。」
と微笑った。僕はすっかりうれしくて、
「でも、そのまま、どこかにさらわれちゃいそうだからなあ。」
いつになく素直になっている。
「ネオンのお城がいいのか?」
彼にも、それがわかっているらしい。
「ペンギンハウスかなあ……。」
彼は、
「馬鹿……。」
とつぶやいて、もう一度僕の大好きな笑顔になった。
「あー、腹が減ったなあ……。」
たまに残業すると、妙に疲れてしまう。
「何か食いに行くか?」
彼は、ハンドルを握って前方を見つめたまま言った。
「そうだなあ……。」
夜中に食べるのは体によくないかなあ。
「食わないのか?」
まあ、たまのことだからいいか。
「僕、ストロベリーシェークがいいな。」
こんな時間じゃ、ろくなシェークにありつけそうもないけど、この状況ならファーストフードブランドでも許せそうな気がする。
「文句の多い奴だなあ……。」
彼も一応、そんなことを言うけど、それだって、僕の耳元をくすぐっていくようだ。
 街路灯だけがすべっていくような夜の街を走っていると、このままどこかへ行ける気がする。
「明日、休もうかなあ。」
僕がため息をつくと、
「大じょうぶなのか?」
彼は、僕の気まぐれにつきあう気がないらしく、いたく素気ない返事を寄こす。
「明日は、特にミーティングもないし……。」
そんなことを考え始めると、だんだんその気になってきてしまう。
「そうだ、休もう……。」
彼は、
「登校拒否か……?」
と笑ってから、
「でも、俺は仕事があるからな。」
ちゃんと予防線を張るのを忘れない。
「いいよ、僕、一人でいるから……。」
考えてみれば、彼の部屋で一人で過ごしたことはないなあ。
「一人でおいておくと、何をされるかわからないなあ……。」
彼は、また笑いながら、僕の方を、ちら、と振り返って、僕が本気なのかどうか確かめようとしているようだ。
 結局、ストロベリーシェークはあきらめて、深夜スーパーに寄ってちょっとした買い物をしてから、ペンギンハウスに連れ込まれてしまった。
「連れ込まれた、なんて人聞きの悪いことをいうなよ……。」
彼がそう言うので、僕は、
「じゃあ、誘拐された。」
と訂正した。
「しょうがないなあ……。」
彼も靴を脱ぎながら苦笑っている。玄関では、あいかわらずのペンギンが、ぼうっ、と輝いて、僕たちの帰りを歓迎してくれる。
「この人は、いつも点けっぱなし……?」
考えてみれば、僕がこの『ペンギンハウス』に連れ込まれる時は、いつもこのペンギンランプが明るく輝いているのだ。
「帰ってきた時に、こいつが明るいと、ちょっと気分がいいだろ?」
そんなもんかなあ、と思いながら、僕は、彼に両肩を押されて、ついでに尻も触られながら、ベッドルームに押し込まれてしまった。
 正直なところ、買ってきたものを冷蔵庫に入れなきゃ、とそっちの方が心配だったんだけど、彼は、
「そんなのどうでもいいじゃないか。」
僕の上着を脱がせにかかっていた。
「だって、牛乳も買ったし、冷蔵庫に入れておかないと腐っちゃうよ。」
僕が、ぐずぐず言っている間に、彼は、僕のネクタイを外して、ズボンも脱がせてしまった。
「そうしたら、また買いに行けばいいだろ?」
僕は、彼にシャツを脱がされながら、
「でも、明日は、僕が一人だし、買い物には行けないよ……。」
まだぐずぐず言っている。
「じゃあ、帰りに俺が買ってきてやるよ。」
僕はトランクスだけの裸にされてしまって、強引にベッドに押し倒されてしまった。
「うるさいやつだなあ。」
彼は、そう言って、僕の首筋に唇を近づけてきた。でも、そんなことをされたら、別の意味で静かになんかしていられなくなってしまう……。