Dreaming 僕

火曜日, 4月 29, 1997

 自分の部屋の前に立ってドアの鍵を回す。カーテンの隙間から、外の街灯の明かりが忍び込んでいる。夜の底に眠っているような部屋の表情が、妙に誘惑的なものに思える。
「ふうっ。」
別になんということもなく、ため息をついてしまう。入り口のスイッチを入れると、ぱっ、と明かりがついて、そこにはいつもの僕の部屋があった。
「何か音を……。」
街に潜む白色雑音がBGMとして吹き抜けてゆく部屋に、お気に入りのCDの音を大きめに満たしてから、ベッドに腰を下ろしてみる。この環境は僕になじんだもののはずなのに、こみ上げてくる孤独感をどうしようもない。冷たい発泡性ミネラルウォータのビンを開けて、その刺激のある液体をのどに流し込む。
『どうしてこんなに寂しいんだろう。』
独りっきりで部屋にいて、それがしっくりなじむときもあるけれども、今は、僕の周りに殻はなく、孤独感が全身にしみ通っていくような気がする。このままでは自分がどうにかなってしまいそうな焦燥感に駆られて、まるで禁断症状のように誰かを求めている。『誰か』とは、さっき『じゃあ』と言って別れてきたばかりの彼のことだろうか。それとも、それ以外の選択肢を自分に許すべきだろうか。少なくとも僕には、この孤独感は、彼の部屋から振り切るようにして飛び出してきたからに他ならない、とわかっていた。
 僕は、とりあえず状況を変えるために、ずいぶんたまってしまっている郵便物の類を整理することにした。本当に、ちょっと部屋に帰ってないと、びっくりするくらいの数が届いている。ほとんどはダイレクトメールなんだけど、時々は、無視できない手紙なんかも混じっていたりするので油断できない。留守番電話は、離れていても聞くことができるからなんとかなるけど、手紙はそういうわけにはいかない。
「あんまり長いこと部屋を空けちゃいけないんだよなあ。」
香木で作ってあるペーパーナイフで、とりあえず一つずつ開封してはポイポイとゴミ箱へ放り込む。でも、基本的に、ダイレクトメールにせよ、手紙をもらうのは嫌いじゃないので、この単純作業も苦痛にはならない。結局、どうっていうことのない手紙ばっかりだったけど、
「やっぱり、僕が住んでいるのはこの部屋なんだ。」
何となくそんなことを思ってしまう。
 なんだか腹が減った気がして、何か作るべく冷蔵庫の中をのぞいてみた。しばらくまともに食材を買っていないので、残念ながら冷蔵庫の中身はかなり寂しい状態だった。でも、冷蔵庫の中身が乏しくなかったとしても、僕の得意な料理は、単なる野菜炒めだったりする。冷蔵庫の中から適当に野菜を取り出して、適当な大きさに切り刻んで、豚バラ肉の薄切りで油をとったフライパンに放り込んで、適当にかき混ぜていると出来上がり。そうでなけりゃ、カレーとかチャーハンとか。簡単で栄養バランスがとれている、というのは、自炊歴の長い僕のターゲットだけど、味だってそんなにないがしろにしてるわけじゃない。気が向いた時には牡蛎油かなんかで味付けをしてみたりして、これに牛乳みたいに紙パック入りで売っているコーンスープをつけると独りの食事としては悪くないと思う。
 だけど、彼は、そんな僕の料理の腕を積極的には評価してくれなくて、
「わざわざ作らなくても、食いに出ればいいじゃないか。」
なんて言われてしまう。でも、自分で作ったものなら、例えば、炊き込みご飯で水加減を失敗しておじやにみたいになっちゃう、なんていうのは笑ってすませられるけど、金を払って食べるのなら、ちゃんとしたおいしいものじゃなきゃ我慢できない。だから、どうでもいいファーストフードに対してはコメントする気にもならないとしても、ほどほどの金を取るようなところでは、
『もうちょっと、なんとかして欲しいなあ。』
と思ってしまうことが多くて、つい、それを素直に口にすると、
「……。」
彼に苦笑されてしまったりする。それは、まるで、
『自分じゃろくな料理も作れないくせに……。』
といわれているようで、ちょっと恥ずかしいんだけど、でも、そもそも納得できるようなものを出してくれない店の方が悪いと思う。まあ、僕の味覚だって、きっとそんなに大したことはなくて、彼の非難も、それほど的を外れたものじゃないに違いない。
 そうやって、なんとかでっち上げた野菜炒めと、こういうときの非常食の電子レンジ御飯をほおばりながら、
「やっぱり、もうちょっと部屋に帰って来なきゃいけないなあ。」
脈絡なく、そんなことを考えていた。もちろん、郵便がたまっちゃう、とかっていう実務的な側面もあるけど、こうやって自分の部屋で、ぼーっ、としているも、僕にとっては大切なことなんじゃないかと思うのだ。
「ふうっ……。」
かなり日付の古い牛乳を、おそるおそる飲み込んで、僕は食器を片付けた。と言っても、流しに移動しただけのことで、やっぱり食器を洗うのは面倒だから、ついつい後回しにしてしまう。そして、買ったままで封も切らずに放り出してあったCDの山を崩す作業に取りかかった。本にしてもCDにしても、読みもせず聞きもしないのに買い込んでしまうのは、我ながら、本当に困ったことだと思う。
『見つけたときに買っておかなくちゃ……。』
なんて、もっともらしい言い訳だけは立派だけど、実際のところは、単なる収集癖に過ぎないのかもしれない。
 ちょっと気に入っている折り畳み式のロッキングチェアを出してきて、それをちょっとゆすりながら、僕は、CDからの音の流れに身を任せていた。
『きっと、僕は、こんなふうにしているときが、一番自分らしいんだろう。』
仕事をしている時も、ラッシュアワーに押しつぶされている時も、スイミングプールに泳ぎに行っている時も、そして、彼の腕の中にいる時も、それぞれに、僕は自分らしいんだろうけど、それも、こんな何気ない時間があってこそ、のような気がする。
『やっぱり僕は、彼に依存し過ぎちゃいけないんだ。』
でも、彼といっしょにいると、うれしくて、独りでいると、寂しくなる。もう、彼を好きでいることを止めることはできない。彼から離れていることはできても、僕は、きっと、すでに充分過ぎるくらい彼に巻き込まれてしまっている。
『彼は、僕のことを好きなんだろうか……。』
相変わらずの終わることない質問。きっと、彼にも答えはわからないんだろう。
『僕は、彼のことを本当に好きなんだろうか……。』
誰がこれを尋ねるだろう。彼がこれを尋ねるだろうか。