でも、本当に僕が、ホッ、とするのは、自分の部屋へ帰ってひとりきりになった時だ。
「ふう、疲れた……。」
街の中を歩いたから、なのか、それとも、彼といたから、なのか、それを考えてみる気にさえならない。だって、僕の生活はここに在って、ここから僕の生活が始まっているのだから。
「もう、家に着いたかな……。」
彼のことを、ちら、と思い出したとしても、それは、あくまで、殻の外の出来事にすぎないのだし、もしそうでなければ、きっと僕の想像の産物に違いない。
ベッドに体を投げ出すようにして腰を降ろして、大きくため息をつく。
「……。」
疲れてる演技が上手いね、と言う、彼の声が聞こえてきそうだ。
「一人でいると、寂しいくせに……。」
僕が部屋を留守にしている間に、部屋の中に充満していた孤独感がどこかへ蒸発してしまう。そうでなければ、こんなに、ホッ、とするはずがない。もちろん、そのうちにまた、寂しさが沈殿していくのだろうけど、それはその時のことだ。
スピーカーからFMの音が勝手に流れてきて、僕の両側をすり抜けていくのも、全然気にならない。
「疲れた。」
もう一度、小さな声でつぶやいてみる。どんなに、ポケッ、としているつもりでも、やっぱり、彼の前で完全に武装解除をする、なんていうことは考えられない。
「……。」
安心感からなのか、こういう時は、いつになく自分自身に皮肉になってしまう。彼との会話の断片を思い出しては、一人嘲笑ったり苦笑したり、疲労感の原因を無意識のうちに探ってしまう。
結局のところ、僕は満足しているんだ、と、結論づけてみる。
「結婚してる、か……。」
だからこそ、彼は、僕の思い出にまで干渉を試みてみることなど、思いつきもしないのかもしれない。そして、僕は、それがいくぶん物足りなくはあるけど、奇妙に醒めていられるのかもしれない。推測を重ねてみることは、たぶん、不毛な行為なのだろうけど、それで自分を納得させられるのなら、何だって構わないのだ。
「変な関係だよな……。」
かろうじて、安定さを保ち得ている彼との交渉が、何だか不思議な気がした。
淡い感傷というやつに、どっぷろと浸かりながらも、我ながら感心することに、
「さあ、明日もサラリーマンしなきゃいけないんだし、さっさと風呂にでも入って寝よう。」
なんて、実にドライだったりする。つまりは、誰も、僕自身の代わりになってくれはしない、ということかもしれない。
「愛してるよ……。」
風呂場の鏡に映った裸の自分にささやいたら、あきれ顔でこっちを見つめている。
「ふん……。」
ユーモアのかけらもないんだから、と舌打ちしながら、シャワーに切り替えると、明日のサラリーマンの元になる熱めの湯が、頭から降り注いできた。
バスタオルで体を拭くのもいい加減に、パジャマさえ着ずに、ベッドの毛布にもぐり込むと、どこかへ蒸発してしまっていたはずの孤独感が、ゆっくりと沈み込んできた。
「……。」
彼の腕枕を思い出して、ついでに、全身を突っ張る瞬間の彼の表情も思い出して、僕は毛布の下で下腹部を堅くしてしまう。もっとも、そこらへんを、ごそごそと自分で悪戯してたせいもあるんだろうけど、すっかり目覚めさせてしまった。
「もし、彼が、奥さんより先に僕に会っていたら……。」
どうなっただろうなんて、そういう行為にはおよそふさわしくないことを漠然と考えながら、僕は、ゆっくりと、堅くなったものを扱いていた。
「やっぱり、彼の、あの瞬間の表情だけは魅力的だっただろうな……。」
急に尻のあたりに快感が集まってきて、毛布を汚さないように、僕は、大急ぎでティッシュペーパーを引き寄せなければならなかった。
ゆっくり引いていく快感の名残に身体を任せながら、僕は、
「ひょっとしたら、僕にだって、彼の思い出に干渉してみようと試みるだけの権利はあるのかもしれない。」
と、思っていた。
「そうだ。」
だんだん柔らかくなっていく快感の象徴からあふれ出した粘液を、ティッシュペーパーで念入りに拭き取りながら、
「今度会った時に、今日の彼の言い訳を、あの晩飯のための言い訳を、問い詰めてみることにしよう。」
あくび混じりに、悪趣味につきることを思いついていたのだ。