毎朝、うんざりのラッシュ電車に乗っているから、こんなに穏やかな休日の電車に乗ると、なんだか変な感じがする。
「どうせ、また、良からぬ本を買うつもりなんだろう。」
兄貴の貴重な意見は無視することにして、とりあえず、電車の単調な振動がうれしい。
「僕も、たまには本ぐらい読まないと、本当に馬鹿になっちゃうよ。」
ラッシュでなけりゃ、電車って、こんなに楽しいのにな。
「小説なんか、読まない、んじゃなかったのか?」
僕って、そんなにかわいげのない口のきき方をするかなあ。
「小説だけが本じゃないだろ。」
要するに、雑誌ってことになるのだけど、
「やっぱり、良からぬ本じゃないか。」
どうして、雑誌だと、良からぬ本になっちゃうんだろう。
でも、なんだかんだ言っても、僕がぽけっとしてたからなのかもしれない。
「おい……。」
え!! なんて、無邪気に振り返ったら、
「いっしょに暮らそうか。」
休日の電車の中でそんなことを言われても、意味がよくわからない。
「いっしょに、って……。」
ちょっとお買い物のおばさんなんかの隣で、ぽけっと平和にひたっている僕には、兄貴の言葉が理解できなかったのだ。
「俺の部屋に来いよ。」
いきない、こうだから、
「電話代が節約できるね。」
僕だって、それくらいの返事しかできないのもやむを得ない。
「ちょうど、俺、部屋を変わろうと思ってるから……。」
実に都合がいい、というわけか。
「うん……。」
考えとくよ……。
兄貴といっしょに暮らせば、確かに電話代は節約が可能だと思う。はっきり言って、電話なんかする必要がなくなるわけだ。といいんだけど……。
「そのかわり、あの喫茶店の売り上げが、悪くなっちゃうな。」
ということは、目の前のカップの冷め具合を気にしなくてもよくなる、ということだ。
「いつも、待たせてばっかりだからな。」
兄貴の相づちは、ため息のタネになりそうな気がする。
「そんなことないよ……。」
約束の時間に遅れていってさえ、僕の方が待ちくたびれた表情をしてるんだ。兄貴の時間を独占できるのは、三文小説に始まって、面白い新聞、はては『良からぬ本』まで、そして申し訳のように、僕、かな……? 僕は、兄貴の笑顔が一秒一秒、遠のいていくことに焦りながら、約束の場所へと、時計の秒針と駆けっこをするのだ。
それにしても、こんなに突然が許されるのだろうか?
「本気で言ってるの?」
横に座った兄貴のひざの暖かさが気持ちいい。
「なんだよ、冗談だと思ってるのか?」
だって、何の前ぶれもなく、
「急に、そんなことを言うから……。」
心の準備ができてないよ。
「そうか……。」
今日は、僕が『良からぬ本』を買うのにつき合って欲しかっただけなのだ。
「じゃ、考えといてくれよ。」
僕が待ってたのは、こういう類の台詞じゃなかった。本屋さんで、興味のなさそうな顔をして、あくびをこらえながら、
「早くしろよ。」
それでも、僕がいろんな雑誌を物色するのにつき合ってくれたあげくの
「じゃあな。」
僕は、そこまでしか期待していなかったのに……。
内心では、うれしいような気もするけど、余計に、素直になっちゃいけないような感じがする。
「降りるぞ……。」
あっ、もう着いちゃったのか。
「早くしろよ。」
どさくさにまぎれて、兄貴は、そういうワイセツなことをするんだから。
「何するんだよ……!」
なんて悪態をついていると、電車のドアが閉まっちゃう……。
「ぐずいんだから。」
兄貴が笑いながら、ホームに立って、僕を待っていてくれる。
「さっきの返事だけどさ……。」
僕がそう言いかけると、兄貴が珍しく緊張する雰囲気なので、ちょっと驚いてしまう。本当に、本気だったんだ……。
「もう少し待ってくれる?」
そうなんだ、たまには兄貴にも、待たせなくっちゃ。
「いいよ。」
何もかもわかってるみたいにニタニタするのがしゃくにさわるけど、
「……。」
今夜、兄貴の部屋に電話してみて、兄貴が僕の電話を待っていてくれたなら、少しはまともな返事ができるかもしれない。