彼はいつも、作業服で僕の部屋にやってくる。仕事帰りだし、それに、僕の部屋に来るのにそれだけ気をつかってない、ということなんだろうから、歓迎するべきことなのかもしれないけど、
「エンジニアなんだから、作業服でいいんだ。」
一応、恋人の部屋に来るんだから、もうちょっとなんとかしてくれてもいいんじゃないのかな、と思わないでもない。
「ちゃんと洗濯してるから、汗くさかったりしないだろ?」
僕が顔をしかめた原因を少し誤解したらしい彼は、
「ほら。」
そう言って、僕を作業服の胸にぎゅっと抱きしめてくれる。
「うん、大丈夫だよ。」
でも、もし彼の作業服が汗くさかったとしても、それはそれで僕にはすごく魅力的なんだろうけどな。もちろん、そんなことを言うと、彼の瞳がとたんにエッチな色で輝き始めるから、そんなことは言わない。彼の作業服は、彼の部屋の匂いと、彼の昼間の職場の匂いと、そして、ほんのり彼の匂いがする。きっと彼は自分では気づかないんだろうな。いつものように、僕の用意した晩ご飯を食べて食後のお茶を飲みながら、彼は思い出したように言った。
「誕生日は、飯食いに行こうか。」
彼が僕に告げたのは、そんなに簡単でもないけど、そんなに堅苦しくもないレストランの名前だった。
「ちゃんとスーツ着て来いよ。」
そりゃ、僕だって、一応サラリーマンだからね、スーツくらい持ってるよ。どうして彼が、わざわざそんなことを言うのか、ちょっといぶかしかったけど、
「なんだか、ドレスコードが厳しそうだね。」
僕がそう言うと、彼は、ちょっとはにかむように横を向いてから、
「まあな。」
と言った。
 僕の誕生日に、僕はちゃんとスーツを着て、できるだけ無難そうなネクタイを選んで待ち合わせの場所に出かけて行った。いつもは僕が待たせてしまうのに、珍しく、彼のほうが待ち合わせの時間に遅れてきて、
「ちょっと出かける時に手間取っちゃって……。」
すごく照れながら言い訳をした。僕は、彼が遅れたのにも驚いたけど、彼の格好があまりにかわいかったので、言うべき言葉がなかったりした。
「……。」
紺色のジャケットにグレーのパンツの彼は、すごくかわいいボウタイをしていて、びっくりしている僕に、彼は赤面してそっぽを向きながら、
「俺だって、作業服しか持ってない訳じゃないからな。」
そう言った。晩ご飯を食べてても、酒を飲んでても、彼のボウタイが目にはいると、僕は思わずにっこりしてしまう。すると、そのたびに、彼は、照れくさそうにしながら、僕の顔から目をそらす。
 僕は楽しい気分を抱えたまま、久しぶりに彼の部屋に行った。ジャケットを脱いだ彼が、そのボウタイを外して、それがちゃんと自分で結ぶボウタイだったのには感心してしまった。
「たまにしか結ばないから、ディンプルを出すのに苦労して、いろいろやってたら遅くなっちゃったんだ。」
彼にしては珍しく遅れて来たのは、ボウタイのせいだったのか。そして、ドレスシャツを脱いでTシャツになった彼は、
「おまえを俺の部屋に連れ込むのは久しぶりだな。」
なんて言いながら、僕の両肩を抱くようにしてくれた。いまだに、彼が『連れ込む』なんていう表現を使うのがおかしかったけど、とりあえず僕は彼の腕に包み込まれるべく心の準備を整えていた。すると、彼は、意味深に微笑むと、指で自分のTシャツの胸のプリントを指さしてみせた。そのプリントには、
“This is a present for you.”
と書かれていて、僕は、そのあまりのあざとさにあっけにとられてしまった。
「ありがとう。」
そう言いながらも、さすがに僕の表情は苦笑混じりだったかもしれない。今時、こんなことをする人がいるなんて……。
「自分で作っちゃったよ、このTシャツ。」
その声は、僕が抱き締められている彼の胸から響いてきた。
「Tシャツプリント紙とアイロンで……。」
あざといけど、そういうのに僕がすぐにいかれちゃうっていうことも計算してるんだろうな、きっと。だって、僕の彼はエンジニアなんだから。