きっと、哲也は僕が電話をするのを予期していたらしく、なんだか冷やかすような声で電話口にでてきた。
「やっぱり俺ん家に来る気になったのか?」
でも、さすがの哲也も、僕がもう哲也の家の近くまで来ているとは思わなかったようで、
「今、コンビニのところから電話してるんだ。」
僕がそう言うと、
「え?」
しばらく言葉がなかった。それに、僕が、まだ家に帰ってないというのも意外だったらしく、
「あれ、まだ家に帰ってなかったのか?」
哲也の家の玄関に現れた僕の学生服姿に、哲也はいぶかしそうな目つきをした。
「う、うん……。」
考えてみれば、こんな時間までどこをほっつき歩いていたのか、と不審に思われても仕方がない。でも、
「まあ、上がれよ。」
哲也は、とりあえず、それ以上は追求しなかった。
「泊まっていくんだろ。」
そういえば、家に電話しとかなくちゃ。
「あ、電話貸してくれ。」
思い出したように電話をする僕の姿は、哲也の疑惑をますますかき立ててしまった。
「なんか、怪しいなあ。」
でも、今度ばかりは、僕も変なことを口走らないように気をつけなくちゃ。電車の中で痴漢されたくらいならまだしも、その痴漢にまた帰りの電車でナンパされたあげく、そいつの部屋に連れ込まれて押し倒されて一発抜かれちゃった、なんて、そんなこと僕自身だって思いつかないよなあ。
「……。」
僕は、黙秘権を行使することにして、黙ったまま学生服を脱ぎ捨てて哲也のベッドにひっくり返った。哲也は自分のいすに腰掛けたまま、ベッドに寝転がった僕をうさんくさそうにみている。ちら、と視線が合ってしまったので、僕はあらぬ方向に目をやった。
「なんだかなあ。」
哲也は、納得がいかないふうで、なにやら、もぐもぐつぶやいている。
「まあ、いいか。」
哲也の声に、ほっ、として、僕は部屋の隅の古いポスターから哲也に視線を戻した。
きっと、もっと僕のことを追求したかったんだろうけど、哲也は、
「まあ、今日のところはいいことにしてやるよ。」
モラトリアムを宣言した。……それとも、僕の態度がモラトリアムの宣言だったんだろうか。
「コーヒーでも飲むか?」
哲也が台所へ消えている間、僕は、哲也の枕に顔を埋めていた。ほのかに哲也の匂いがするような気がした。
「馬鹿、なにやってるんだよ。」
コーヒーをポットごと抱えて戻ってきた哲也は、そんな僕を見つけて苦笑っていた。
「眠くって……。」
僕は、言い訳にもならないような言い訳をした。
「本当は、酒のほうがいいんだろうけどな。」
哲也は、そんなことを言いながら、カップにコーヒーをついでくれた。そして、僕がコーヒーを一口すするのを待っていたように、
「泊まっていくんだろ。」
そう言った。今度の哲也の言葉は、質問ではなくて、そこには僕が拒否できないような響きが含まれていた。返事をする必要があるとも思えなかったので、僕は、もう一口コーヒーをすすった。
「それ、コロンビアだぜ。」
ふーん。
「しょうがないなあ。」
哲也は、また、ちょっと苦笑った。大きいマグカップからコーヒーをすすっている哲也を見ながら、僕は、ただ、暖かいカップがうれしくて、それ以上のことは思いつかなかった。