結局、その日は、なんだかよくわからない人と会って、よくわからない話をして、ぐったりなって自分の部屋までたどりついた。何のための出張だったのか自分でも疑問だけど、まあ、遊びの出張なんだから、こんなもんでいいんだろう。
「疲れた……。」
上着とネクタイをとってベッドにひっくり返ると、肉体的にも精神的にも疲れてしまっている自分を感じる。久しぶりにかっちゃんに会って恋愛ごっこをしたりしたからだろうか?それとも、ベッドの中でいかがわしい行為にふけっていたので、単に寝不足なだけなんだろうか?
とりとめもなく、かっちゃんとのことを思い出していると、いきなり電話が鳴った。
「もしもし?」
電話がいきなり鳴るのはあたりまえか、なんて俺が苦笑しながら電話に出ると、
「もしもし……。」
受話器の声はかっちゃんだった。
「かっちゃん?」
今朝、『もうしばらく会えないな』なんて別れたばかりの人と電話で話をするのは、なんだか変な気がする。
「迷子にならずに帰れたんだな。」
『迷子』なんていう言い方が、あまりにかっちゃんらしくて、俺はちょっと笑ってしまう。
「今、帰って来たところなんだ。」
まさか、今朝の今夜に電話をくれるとは思わなかった。後朝だから(もうすっかり夜だけど……。)、かっちゃんは電話をくれたんだろうか。
「今度はいつ来るんだ?」
かっちゃんは、いきなりそんなことを言う。
「今度って、そんなのわからないよ。」
自分が関心のあること以外にはあんまり注意を払おうとしないところが、やっぱりかっちゃんで、俺は、また笑ってしまった。
俺が笑っている気配に気がついたらしく、かっちゃんは、
「冷たいじゃないか。」
ちょっと気を悪くしたらしい。でも、そんなこと言ったって、用もないのに出張できないだろ。
「また、そんなことを……。」
『そんなこと』でも、かっちゃんに言われると、なんとなくうれしい。
「早く、転勤になって、こっちへ帰って来いよ。」
それは、俺の上司に言ってくれ。
「仕方ないよ。」
帰りたいときに帰れるんならサラリーマンじゃないよ。俺が、ちょっとすねてると、
「幸介がいないと、俺、寂しいんだ。」
かっちゃんが、赤面するようなことを言う。かっちゃんがこんなことを言うなんて、たぶん、初めてかもしれない。
「酔ってるんじゃないのか?」
どうも、怪しい。かっちゃんがこんなに、耳に心地よい言葉を言ってくれるなんて、素直には信じられない。
「そんなに飲んでないよ。」
やっぱり、アルコールが入ってるんだ。
「しょうがねえなあ、酔っぱらいは……。」
かっちゃんが素面じゃなくて、ほっとしたような、ちょっと残念なような、複雑な気持ちだった。うそでもいいから、言って欲しい言葉って、あると思うんだけどなあ。
まあ、仕方がないか。酔っていても、言ってくれるだけましなのかもしれない。俺がそんなことを考えて、ぼや、としていると、
「幸介、俺のこと好きか?」
かっちゃんに、いきなり、そう尋ねられて、俺は、どきっ、となってしまう。
「……。」
かっちゃんは酔ってるからいいけど、俺は素面なんだからな。
「どうなんだよ。」
受話器から、ちょっといらついているかっちゃんの声が響いてくる。
「どう、って……。」
俺は、あせっちゃって、のどがからからになってしまう。
「はっきり言えよ、好きか、嫌いか。」
かっちゃんは、昨日みたいに『キスしていいか』なんて言い換えてはくれない。こんな単純な質問に、どうして素直に答えられないのか、素直なはずの俺は戸惑ってしまう。
「す、好きだよ。」
自分の声がちょっと震えているのがわかる。
「ふ……。」
かっちゃんは、ちょっと笑って、
「そうか。」
沈黙した。
「なんだよ、黙っちゃって……。」
返事なし。
「もしもし、……?」
返事なし。
「……。」
俺が、ちょっと途方に暮れていると、
「じゃあな。」
いきなり、がちゃん、と電話が切れた。
「えー?」
俺は、事態が全く理解できなくて、しばらくぼうぜんと受話器を握ったままだった。
「どういうことになったんだ?」
俺は、ひねれるだけ首をひねってから、受話器を置いたんだけど、いったい今のは何だったんだろう。こういう状況をどう解釈すればいいのか、理解に苦しんでしまうんだけど、かっちゃんが酔っぱらっていたずら電話をかけてきた、ということ以上のことは、結局のところわからなかった。
それで、もっと理解に苦しむことに、俺が首をひねるのをあきらめて、風呂にでも入ろうとしていると、また、電話が鳴ったのだ。
「もしもし?」
自分の声が、なんだか不機嫌になっているのがおかしい。
「俺だよ。」
かっちゃんだった。
「好きだよ、幸介。」
え?
「じゃあな、お休み……。」
ちょ、ちょっと待ってよ。
「もしもし?」
電話は、すでに切れていて、空虚しい発信音しか聞こえてこなかった。
「なんなんだ?」
かっちゃんは、いったい何を遊んでいるんだろう。
だいたい、そんなことわざわざ電話してくれなくたって、かっちゃんが、俺のことを好きなことぐらい、わかってるよ。そうでなきゃ、今さらかっちゃんの部屋に泊めてもらったりしない。
「……?」
俺は、すっかり憶えてしまっているかっちゃんの部屋の電話番号をダイヤルしていた。
「もしもし?」
発信音が鳴るか鳴らないかのうちに、かっちゃんの声が受話器から聞こえてきた。
「かっちゃん?」
電話ならこんなに近いのに、本当は、ずっと遠くにいるんだなんていうことが信じられない。
「幸介か……。」
かっちゃんの声は、すっかり落着いている。
「今度の休みに、遊びに行ってもいい?」
やっぱり、俺は、かっちゃんに抱きしめられていないと、だめなのかもしれない。
「……?」
かっちゃんが、受話器の向こうでちょっと微笑ったような気がする。
「かっちゃん?」
電話で抱きしめてもらえるんなら、どんなにいいだろう、と俺は思いながら、かっちゃんが何度も繰り返してくれる、
「好きだよ、幸介。」
という声に酔っていた。