俺は、残っていたジンソーダを飲み干して、グラスをカウンターの上に置いた。
「同じでいい?」
マスターは、俺の返事を待たずに新しいグラスに氷を放り込み始める。
「元気だった?」
俺達の会話が思い出の中に沈んでしまいそうになっているのを見て、マスターが気をきかせてくれる。
「うん。」
グラスにジンを注ぎながら、マスターは、俺の目から彼の方へ視線を移した。
「待ち合わせ?」
その言い方が、まるで、俺と彼がここで待ち合わせしていたみたいに聞こえたので、ちょっとあせった俺は、
「『かもめ』で……。」
思わず、言わなくてもいいことまで言ってしまう。しまった、と思うんだけど、彼はしっかり聞いていて、
「待ち合わせなんだって……?」
攻撃されてしまう。
「一応……。」
俺は、ちょっとマスターをにらんでみたんだけど、マスターは知らん顔で、俺のジンソーダにライムのかけらを放り込んでたりする。
どうして、彼に待ち合わせだということを知られたくなかったんだろう。
「かわいい?」
彼に、こんな質問をされても、なんて答えればいいのか考え込んでしまう。
「誰が……?」
こんなのじゃ、時間稼ぎにだってならない、ことはわかっているけど……。
「待ち合わせの相手に決まってるだろ。」
なんとかしてよ、マスター。
「うーん、一応……。」
しどろもどろなものだから、かえって彼に突っ込まれてしまう。
「かわいくないのか?」
そりゃ、奴のことをかわいいとは思うけど、こんなところでそんなことを俺の口から言わせなくったっていいじゃないかと思う。
「うーん、そういう言い方もできる。」
俺にとって、奴のことを彼に説明するのなんか、愉快な作業だったりするわけがない。それなのに、彼はすっかり面白がっちゃって、
「どっちなんだよ。」
どっちだっていいだろ、と、言いたいんだけど、なんとなくそういうことを言ってしまうとよけいまずいことになりそうなので、
「……。」
マスターがやっと出してくれたジンソーダを飲むふりをして、誤魔化してしまうことにする。
けれども、彼は相変らず、カウンターにひじをかけて俺の方に身を乗り出したままだから、仕方なく、できるだけあたりさわりのない言葉を探すはめになる。
「そうだなあ、なんとなく昔の自分を見てるような気がする……。」
ところが、これが妙にうけてしまって、
「なるほど……。」
彼はグラスを落としそうになるくらい笑いころげてたりする。
「笑っちゃだめだよ。」
さすがに俺も、気分を害されて、ちょっと、む、となって見せるんだけど、
「ほほえましいな、と思ってさ。」
そういう話じゃないだろ、と、思わず言ってしまいそうになる。
「馬鹿にして……。」
俺も、今の彼の年齢になったら、笑いころげてしまうのだろうか?
「いいな、待ち合わせなんて……。」
単なる形而上学的な冷やかしは無視するに限るので、反撃の糸口をつかむことを試みてみる。
まあ、俺にできる反撃なんて、たかがしれてるわけで、とりあえず、適当なでっち上げを材料にそれとなく、
「でも、うわさは聞いてるよ。」
なんて言ってみる。もちろん、そんなことは、決してないんだけど……。
「どんな?」
でも、やっぱり俺より年上なだけあって、なかなかそれくらいのことでは引っかかってくれない。すでに思い出になってしまった人のうわさなんか、聞こえてくるはずのないことを、彼は知っているくせに、そんなことを言って俺を困らせる。
「どんな、って……。いろいろ聞くよ。」
反撃なんかしようと思った俺の考えが甘かったのだろうか。
「例えば?」
具体例が思い浮かぶくらいなら、こんなに冷静にカウンタで隣り合わせになんかなっていられるわけがない。
「え?……相変わらず若い子を泣かせてる、とか。」
だから俺は、もごもご言って、なんとかその場を取り繕わざるを得ない。
俺の態度にちょっと気分を害したのか、彼は、手に持っていたグラスをカウンターに置くと、
「おまえに俺の噂なんか、聞こえるわけがないじゃないか。」
そんなにきっぱり言うわけ?
「おまえの耳に入ったら、俺の耳にも入ってるわけだからな。」
え?……それって、いったいどう解釈すればいい言葉なんだろう。自分で言い出しておきながら、俺は、どんなふうに弁解すればいいのかわからなくて、彼から目をそらしてうつむいてしまう。
「ちょっと言い過ぎだよ。」
俺の表情に、マスターが敏感に反応して、彼を押しとどめてくれる。
「……まあ、いまさらしょうがないな。」
そんな言い方をする彼を、俺は今まで見たことがなかった。