なんとか最終電車に間に合ったので、今日中には自分の部屋にたどり着けるだろう。酔っぱらいとぐったり疲れた表情のOLが、お互いに白けた表情で見つめあう電車の中で、俺はちょっとほっとしていた。なんだか知らないけれども最近変に忙しくて、ここのところずっとタクシーで帰っていたので、財政的にも、あんまり愉快じゃなかったのだ。だいたい、給料は安いくせに深夜まで人をこき使うなんて、とんでもない会社だなんて、こんなことを言うようになったら、たぶん、相当におじんなんだろうなとは思うけれど、最終電車なんて中途半端に混んでるだけで、あんまり楽しいわけじゃないし、愚痴でも言うぐらいがせめてもの慰めだったりして、俺もかわいそう。でも、飲み会か何かだったのか、学生風のなかなかかわいい子が、ちょっと飲み過ぎたかな、なんて言う風情でドアにもたれてため息をついてたりして、それはそれでなかなか良かったりする。まあ、こういうのが風情があったりするのも、若くはない証拠なんじゃないかと、不安ではあったりする。
それでも、なんだかんだ言ってるうちに、電車は俺の降りるべき駅に止まって、俺は、『疲れきったサラリーマンその1』の顔で、電車から駅のホームに押し出された。改札を出たところで、ちょっとため息をつくふりなんかをしてから、もうすっかり日常になってしまった道を通って、自分の部屋までたどりついた。わけのわからない鍵がじゃらじゃらついているキーホルダーからドアの鍵を探して、それがちゃんと鍵穴に合うとなんとなくほっとするのがおかしい。ドアを開けて部屋の中にはいると、当然というか腹立たしいというか、俺の同居人はもうお休みになっていて、ドアのところに置いてある太り気味のペンギンのランプだけが、ぼうっと明るく俺を迎えてくれた。
「疲れた……。」
独り言を言いながら靴を脱ごうとして、自分の足元に見かけない靴を見つけて、俺はもっと疲れてしまった。どうやら奴のところにお客さんらしい。
「まあ、どうでもいいけど……。」
奴のお客さんに気を使ったと言うよりは、シャワーを浴びるだけの元気も残っていなかったので、かろうじて冷蔵庫からシードルを取り出すと、ベッドにもぐり込むべく自分の部屋に行った。
なんとなくうんざりした気分で、ジャケットとネクタイをイスの上にほうり出して、ベッドの上にひっくり返った。
「いいよなあ、公務員は……。」
仕事を終えた後で男を引っかけて部屋に連れ込むだけの余裕があるのに、勤勉なサラリーマンの俺とあんまり給料が変わらないなんて、いったい世の中どうなっているんだろう。俺がぶつぶつと世をはかなんでいると、
「う……ん。」
明らかに奴の声とは違う声が、かなりはっきり聞こえてきた。声からすると、わりと若い子に違いない。
「音ぐらいつければいいのに……。」
こういうシチュエーションで隣の部屋に聞こえるような声を出す方も出す方だと思うけど、出させる奴もどうかしてるんじゃないかと思う。何で俺がこんなことまで気を使ってやらなきゃならないのか疑問だったけど、仕方がないから、一般受けするユーミンだかなんだかのCDをひっぱり出してきて、リピート演奏にしてしまった。俺って、ほんとに損な性格なんだなあ。
そんなわけで、気がついたときにはしっかり次の日の朝で、しかもシャワーを浴びてから出社したいような人は、当然、即、起きるべき時間だった。ついでに、ユーミンはまだ耳ざわりな声をスピーカから響かせていて、こういうのを聞きながら眠っていたのかと思うと、それだけで十分憂うつになれた。
「まったく……。」
シャワーを浴びると少しはましな気分になれたので、出社拒否みたいな最悪の事態は避けられそうだ。バスタオルを腰に巻いて、牛乳をんぐんぐやっていると、奴の部屋のドアが開いて、眠そうな目の俺の同居人が登場した。
「おはよう。……早いじゃないか。」
俺が早いんじゃなくて、おまえが遅いんだよ。
「おはよう。……早くしないと遅れるんじゃないのか。」
せっかく心配してやったのに、
「俺、今日は休みなんだ。」
なんて奴だ。
「おまえ、今日休みってことは3連休かよ。」
俺なんか代休とっても、代休の日に休日出勤するなんていうわけのわかんないことをやっているのに、俺ってほんとうにかわいそう。
いつもは紳士的に奴の相手なんかを詮索したりはしないんだけど、なによりも『3連休』という言葉に、む、となったので、
「どんな奴だ?」
なんて奴を冷やかしてみた。
「え?!どんな、って……。」
奴は柄にもなくぼさぼさの頭をかいて照れてみせたりしている。
「まだ寝てるのか?」
俺が、奴の部屋をのぞこうとしたら、
「あ、よせったら……。」
奴は抵抗しようとしたけど、
「へえ、なかなかかわいいじゃないか。」
あんまり大きな声を出してその子を起こしてはまずいと思ったのか、俺に自分の部屋をのぞかせてくれた。
まあ、奴のベッドの上で平和そうな寝顔を見せていた子は、たぶん20才かそこらで、まあまあ一般受けのする、奴の趣味らしい子だった。
「ま、どうでもいいけど……。」
奴の男のことなんかであれこれやっててもしょうがないので、俺はさっさとサラリーマンすることにした。
「いいのかな、あんな若い子をだましたりなんかして……。」
俺がネクタイを結びながらそういうと、
「だましたりなんかしてないよ。」
奴は、いたく御機嫌斜めだった。
「いいな、若い子を泣かして遊べるんだから……。」
俺がぶつぶつ言いながら出かけようとすると、奴はなんだかんだ言い訳していたが、それにつきあっているとまともな時間にタイムカードを押せそうになかったので、適当に無視してドアを出た。